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大塚英志に関するlotus3000のブックマーク (7)

  • 【第5回】角川歴彦とメディアミックスの時代 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント

    教育のこと、「黒子のバスケ」脅迫事件のこと。 大塚英志 〈1〉 角川ドワンゴの持ち株会社の社名がカドカワに変更となり、その一方で川上量生が通信制の高校の構想を明らかにしたことで、コンテンツとプラットフォームの融合という株主向け説明にさえならなかった統合後のビジョンが初めて明確になった。 出版社としての角川はもはや消滅し、プラットフォーム企業としてのドワンゴも大きく変わるだろう。 旧社名「カドカワ」が「カドカワ」の「カ」「カ」、「ドワンゴ」の「ド」「ワ」の組み合わせだという説明がもはや方便でしかないのは、角川書店は「カドカワ」の「名」のみ残し、「ドワンゴ」というWEB企業に吸収されたという事実しかそこにはないからだ。経営統合がなければ、出版社としての旧KADOKAWAは経営破綻していたはずだ。類似出版社のM&Aという「同業他社潰し」が目的としか思えない無策の合併の繰り返しによって肥大したKA

    【第5回】角川歴彦とメディアミックスの時代 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
  • 【第4回】角川歴彦とメディアミックスの時代 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント

    セヴンティーン  大塚英志 〈1〉 角川歴彦(かどかわつぐひこ)は昭和18年生まれである。兄の春樹(はるき)は昭和17年生まれである。この生年を一つの問題としてみたい。兄の方はいうなれば破滅型、弟の方はひどく堅実なイメージがあるが、しかし、ぼくには弟の方に破滅型の素養があると感じる時がある。例によって瑣末な事柄を行ったり来たりする文章だが、物好きな方はお付き合い願いたい。 「世代」について歴彦が自分のことを語る時、しばしば戦後世代として語るのが常だ。「民主主義の子ども」と自らを形容したことがある。それどころか「戦争を知らない子どもたち」と一度、自らを形容したことさえあるのだ。 そこにぼくはいつも微妙な違和を感じた。 「戦争を知らない子供たち」の作詞者の北山修(きたやまおさむ)は昭和21年生まれ。団塊世代よりは少し早いが、ぎりぎり戦後生まれである。この歌で自己規定するのは団塊世代だとぼくなど

    【第4回】角川歴彦とメディアミックスの時代 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
  • 【第3回】角川歴彦とメディアミックスの時代 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント

    世界を蹂躙された子どもは「日の丸プラットフォーム」の夢を見るのか 大塚英志 清水眞弓(しみずまゆみ)という作家の小説に『花冷え』がある。1964年、七曜社からの刊行である。巻末には文芸批評家の村松剛(むらまつたけし)の解説があり、その記述から著者の清水と村松は、編集者と著者の縁であったと知れる。余談だが、村松の授業をぼくは筑波大学時代に受けている。第二外国語のドイツ語の講義で、ぼくは一度も出席せず、試験もドイツ文学について知っていることを記せといった内容だったので、グリム童話やフォルクスクンデについて雑な文章を書き、単位をもらった記憶がある。そのため、ぼくはドイツのアルファベットさえおぼつかないのだが、そういう無能な学生相手の講義はさぞかし憂(ゆううつ)であったのだろう、ただ、寡黙で陰な印象だけが漠然とあるが、清水に対してはひどく優しい。 〈清水さんとはもう二年以上のおつきあいになる。

    【第3回】角川歴彦とメディアミックスの時代 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
    lotus3000
    lotus3000 2015/08/28
    ここがナショナリズムとオタクとつながる場所なのか……/子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」 穂村弘のこの歌がなぜか思い出される。
  • 「角川歴彦とメディアミックスの時代・序」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント

    モニターとしてのブラウン管 大塚英志 始まりは一冊の雑誌だった。まずそういう話からしよう。 1970年の夏、角川歴彦(かどかわ つぐひこ)はアメリカにいた。父の会社である角川書店に入社して4年が過ぎていた。 若者たちの政治の季節が終わろうとしていた。その頃の時代は、多分、今よりもずっと若者たちと政治が近かった。 歴彦は1943年生まれだから、その時は二十代の後半になっていた。もう幾年か生まれるのが遅ければ、団塊世代とか全共闘世代と呼ばれていたはずだ。戦争が終わり、ようやくやってきた平穏な時代となった1940年代後半、いわゆるベビーブームがやってきた。1947年から'49年までの3年間に生まれた子供は毎年年間260万人を超え、3年間で延べ806万人である。2000年代に入ってからは年間の出生数は110万人を割っているから、今と比べれば2.5倍多い。数としては圧倒的多数の世代より、歴彦は少し早

    「角川歴彦とメディアミックスの時代・序」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
    lotus3000
    lotus3000 2015/08/28
    TRPGの岩波書店の角川。僕の青春のそのもの。
  • 新潮の橋下報道についての大塚英志氏の言及が面白かった - ARTIFACT@はてブロ

    下の記事と関連して。 「日は民主主義社会ではない」 大塚英志×宮台真司 対談全文(前)(5/7ページ) | ニコニコニュース 一つ、橋下市長を巡って面白かったなと思ったのは、選挙の時に(雑誌の)『新潮』がすごいネガティブキャンペーンやりましたよね。その時に「やれ橋下氏」と。それから「親族にヤクザがいる」とか、あるいは「被差別部落のエリアで彼が育った」とかね。そういったネガティブキャンペーンをやって。これ『新潮』の得意技ですよね。こういうネガティブキャンペーン持っていくと、だいたいそこでそれこそ、「愚民」だの「土人」でもなんでもいいんだけども、やっぱそこであっさり先導されてきたわけじゃないですか。『新潮』は、やっぱりそういうふうに大衆を先導することに関してもお家芸だったわけだけども、『新潮』が言わば先導できなくなって、逆に反撃くらったみたいなね。そこで僕はすごく人ごとのように面白かったです

    新潮の橋下報道についての大塚英志氏の言及が面白かった - ARTIFACT@はてブロ
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/30
    効かなくなったのは何故かの分析はいるね。
  • “反原発”に乗れない漫画原作者 村上春樹のスタンスに疑問

    書評】『運命の人 四』(山崎豊子/文春文庫/670円) 【評者】大塚英志(まんが原作者) * * * 反原発にどうしても乗れない。ついこの間までそう口にすればサヨクとののしられたはずだし、共産党が震災前に今回の事態を想定した質問をしてもその時点では一行も報じなかったのに。それがちょっと放射能飛んできたぐらいで、そういうリスク込みで自民党の原子力政策支持してきたんだろうに、有権者も大半のメディアも。 何年か前、イラクへの自衛隊派兵差し止めの裁判やっていた時も「湾岸戦争の時に劣化ウラン弾使われて今回もその可能性がある。子供の被曝リスクが高い」と説明したらあちこちから冷笑されたけど、じゃあ「子供たちを救え」って「日人限定」って入れとけよ。 広島・長崎の原爆と原発は同じ核だから反原発って大江健三郎が言うならともかく村上春樹かよ。どいつもこいつも話違うじゃん。リスクわかって原発使ってきたんだから

    “反原発”に乗れない漫画原作者 村上春樹のスタンスに疑問
  • 漫画原作者 震災直前の著名建築家の発言知り「殺意覚えた」

    書評】『at プラス 08』(太田出版/1365円/雑誌) 【評者】大塚英志(まんが原作者) * * * 神戸震災の時、筑紫哲也が「温泉街の湯気が立ちのぼるようだ」とコメントし顰蹙を買った長田区のあたりに今、日中立つと軽い吐き気がする。目に入る風景全てが建築家によって再設計された人工物であることの不快さは学生時代を過ごした筑波の学園都市とも重なる。それは自身に世界を設計する権利と才能があると信じている建築家という人種の不遜さだけが人の生きる場所を支配しているからだ。 そして東北の海岸線が長田区と同じ光景と化すことは後藤新平の持ち上げられ方でも充分予想がつくが、そのことを「予兆」したかのように同誌に掲載された磯崎新の地震直前のインタビューを読むと吐き気どころか「殺意」さえ覚えた。比喩でなく。 磯崎はここで「建築」とは世界そのものの制度設計であり、「国家」を表現することが「都市計画」や「建築

    漫画原作者 震災直前の著名建築家の発言知り「殺意覚えた」
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