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松尾匡に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 「小さな政府」という誤解/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    この連載では、これまでの三十年ほど、世界中でみんなが「大きな誤解」をしてきたという話をします。 「誤解」というのは何かと言うと、「小さな政府」というスローガンのことです。こないだ亡くなったイギリスのサッチャーさんから始まって、小泉さんとかブッシュさんとか、このかんずっと、世界中でいろんな政権が追求してきましたよね。 最初はいま名前をあげた人たちなんかが、大きな企業が自由におカネもうけできるようにしよう、もっと競争を激しくしようということで、「小さな政府」の路線を進めました。「新自由主義」政策と呼ばれています。 これが、格差だとか貧困だとか、地域の人々の絆の崩壊だとか、金融危機だとかをもたらしたというわけで、今度は、イギリスのブレア政権とか、アメリカのクリントン政権だとかが、もう少しマイルドにした路線をとりました。新自由主義でも、これまでの福祉国家でもない、「第三の道」だとかと自称していたも

    「小さな政府」という誤解/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 究極の理想論:一人一言語

    松尾匡のページ 03年1月17日 究極の理想論 現実離れした理想論は言ってもしかたないとされている。しかし中途半端な理想論にとどまることなく、あえて現実離れをいとわず徹底した理想を語ることは、その人の基的なスタンスが浮かび上がるという点でかえって意味がある。 私にとっては、究極の理想は、「一人一言語」である。全世界40億人が、みな一人一人自分の言語体系を持ち、かつそれが万人に理解できるのが理想である。 言語というのはあらゆる抑圧がなくなった後にも残る最後の抑圧だと思う。だいたい語学が苦手だ。英単語を覚えるのが苦痛でしかたなく、何度も何度もひいた単語をまたひいてしまったときには、屈辱感で胃がねじれる思いをする。「こんなこと俺は同意していない! 勝手に決めるな!」と辞書に向かって悪態をつく。数学の定理も物理の法則も私に納得を求めるのに、単語こそは有無を言わせぬ。全く許せない。 おそらく、法律

    lotus3000
    lotus3000 2010/09/17
     究極の差別としての言語。
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