あるイベントで西村ユミ氏*1は、「二時間かけて患者さんから聴いた話を、五時間かけて言葉にした」とおっしゃっていた*2。 同席していた松葉祥一氏*3と村上靖彦氏*4は、その現象学的記述の細かさをしきりに褒めておられたが、やや疑問が残った。 イベントでは、記述を受けた患者さんご本人のコメントがなかったと思うが、 自分が話したことを五時間もかけて研究されたことを、嬉しく思ったのだろうか。 そもそも、五時間もかけた細かさは、誰のためか。 たとえば精神分析なら、患者さん本人が嫌がっても、分析家の解釈は強硬に主張され、それこそがむしろ必要とされる。分析的な「真理」は、患者さんの主観的承認とは別の回路で承認される*5。 では、現象学ではどうか。 看護師は、病棟内の時間を生きている。「五時間かけて言葉にした」というのは、病棟の時間を無視した、むしろ嗜癖的な逸脱ですらあるかもしれない*6。 病棟の時間と「記