土山実男『安全保障の国際政治学―焦りと傲り』を読む。 安全保障論の良本である。 amazonの書評が丁寧なので、ぜひ目を通しておくこと。 最低限、「第1章 はじめにツキュディデスありき―国際政治の焦りと傲り」は読んでおくこと。 古代ギリシア時代の古典もバカに出来ないことがわかる(当たり前だw)。 近代の安全保障論より、よほどツキュディデスの方が冴えていた。 (本書では、「ペロポネソス戦争の叙述を通じてその根本的な戦争原因をアテネとスパルタの勢力不均衡にあると論じ、戦争の脅威は個人の心理状態ではなく外部的な勢力状態に因ると強調した」という風に要約されてしまう従来のツキュディデス解釈を批判し、その解釈が一面的であることを論じている。) その辺は、よそのブログさんのこちらの記事でも紹介されているので、是非ご一読ください。 気になったところだけ。 本書のカギ概念について(89頁)。 「セキュリティ
戯言「結果が全て」は嫌われ者結果が全てという言葉があります。どれだけ努力をしたか、どんな方法をとったか、真面目だったか不真面目だったか、そういったものを考えず、目標を達成したかだけを見る。 この言葉ってあんまり好かれてないなと思うんですよ。どこか、嫌われ者な感じがする。心が強い人は好んで使いそうですが、おおかたの人は嫌いかなと思う。 結果が全てという言葉には、過程がどうでもいいという意味合いがすごく感じられる。ズルしていいとか、何をやってもいいとか、そんな感じ。一生懸命とか、頑張ったこととか、そういったものを無碍に否定されて嬉しいという人はあんまりいない。最終的に駄目でも、そこまで頑張ったことを評価して欲しいですよね。僕だってそうです。 結果が全てじゃない 結果は全てじゃないです。どう考えたって、結果より過程の方が長い。例え失敗しても頑張ったことは確実に力になるし、試合に負けたってゲーム中
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