「本人のせい」と「社会のせい」の両極しかない。 こんな発想のままあれこれ論じても、問題のメカニズムに加担したままだ。 本当の問題は、主観性と集団のありかたを同時に考えるところにしかない。――つまり問題は、個人だけでも社会だけでもなく、《関係性》にある。 つながりがどういう前提と作法で営まれているか。 「医者だから偉い」とか「当事者に逆らうな」まで含め。 自分がどういう作法を生きているかを誰も主題にせず、業績を挙げたり正義の味方になったりすることしか考えていない。 メタ言説の誇示しあいっこで関係性がマネジメントされる*1。 ふんぞり返ってひきこもり支援を論じながら、身近な関係はひどい――それが当たり前だと思われている*2。 医師や学者は、社会問題を自分の業績のネタにする。 本当に必要な問題意識が学界のディシプリンに合わなければ、自分の業績のために “学問” を優先させる*3。 社会性について