柄谷行人による、『災害ユートピア』書評より: 国家による秩序がある間他人を恐れて暮らしていた人たちは、秩序がなくなったとたん、たちまち別の自生的な“秩序”を見いだす。それは、他人とつながりたい、他人を助けたいという欲望がエゴイズムの欲望より深いという事実を開示する。むろん、一時的に見いだされる「災害ユートピア」を永続化するにはどうすればよいか、という問題は残る。 日常に思い込まれた欲望と、非常時にやってしまうことは、ちがっている。 しかし、それは時間の質が違うからおのずとそうなるのであって、日常と非日常を同じモノサシで比較して「こっちの欲望のほうが強い」とかいうのは、違うと思う。日常なら日常で続いてしまう欲望や合理性があるし、それは震災のエピソードを持ってきて「本当はべつの欲望が隠れている」と言ったところで、処方箋にならない。 必要なのは、非常時に体験された時間軸を、どう日常に繰り込むかと