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ブックマーク / before-and-afterimages.jp (1)

  • 西村清和『イメージの修辞学──ことばと形象の交叉』読後メモ - Blog (Before- & Afterimages)

    「見る」経験と「読む」経験が異なるからこそ、ことばが「視像への情熱」をかき立 て、イメージが「ことばへの情熱」をかき立てるという第I部の結論は納得がゆくものだが、では、「ベッチマンがそこで沈黙した」(p.129)という「イ メージの意味」はどう「語る」ことができるだろうか? バルトの言う「第三の意味」あるいはプンクトゥム、それは語り得ないのか? バルトにあって、 「脱・命名」は抽象画の「物質的シニフィアン」に向かう。確かにそこでは具象が描かれている場合についての問題は取り逃されるが、果たして、抽象画につい て触れれば「脱・命名」つまり「非ないし脱言語的な」「意味」について明らかになるのだろうか? このような問いは、わたし自身が『都市の詩学』でアルド・ロッシの建築物や建築ドローイングのイメージと詩の関係について考察した経験に由来している。物語性やナラトロジーとは別の次元でことばとイメージとの

    lotus3000
    lotus3000 2011/06/29
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