実は、今回、超短期間だがロサンゼルスを旅行してみて、これは初期のエスペラントが夢見た世界そのものではないか、と思った。 さまざまな人種が暮らす世界で、それぞれの民族はそれなりに自らの言葉を保持しつつ、さらに共通語として別の言葉を話す。舞台設定としては、俺が見たロサンゼルスはこれ以上ないぐらいにエスペラント的なのである。 エスペラントが反対しているのはその英語=アメリカだが、実際に現れた例を観察することによって、エスペラントが目指す世界の修正が必要だと思う。 俺がロサンゼルスの例から導き出した結論は、エスペラントのコミュニティは常に離散していなければいけない、ということだ。でなければ、エスペラントだけで生活できる環境が生まれ、継承語を保持するインセンティブがなくなってしまう。そうなればアメリカで暮らすのと同じで、その地はエスペラントのネイティブ話者だらけになってしまう。 それの何が問題なのか
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