Ry0TAさんの日記から孫引き。 クローゼットからのカミングアウトに何か自己肯定的な、実際解放的なものがあるとしても、それは、カム・アウトすれば、従属状態から逃れ、一切の足枷のない自由な状態になれるからではけっしてない。むしろ逆だろう。カム・アウトすることは、また違った種類の危険と制約に自らをさらすことであり、自分で手軽なスクリーンになって、ストレートの人々がいつだってゲイに対して抱いている幻想を引き受けることである。そしてなにより、自分の身振り、発言、表現、意見のすべてに、ホモセクシュアルのアイデンティティを認めた者、という、とてつもなく大きな社会的意味が加わってくる。(Halperin 1995=1997: 48-49.) デイヴィッド・M. ハルプリン/村山敏勝訳『聖フーコー―ゲイの聖人伝に向けて』太田出版, 1997. 「カミング・アウト」の言説は明らかにその目的をはたした。だがそ