このように民衆はヒトラーに酔ってしまったのである。役者やタレントに酔うならまだ被害は少ないが、政治家にだけはけして心酔してはならない。そのためにその後のドイツ国民は悲劇のどん底にたたきこまれるのである。このリーダーと民衆との社会心理学を、コフートは「自己対象」という自己心理学の用語で説明する。 第一次大戦の敗北により弱くなったドイツ国民の集団自己は、解体寸前の状態にあった。このような集団自己は強力な指導者を求める。そこに登場したのが、メシア的な自己愛的人格のヒトラーだったのである。自己と対象(他人)とが未分化であるから、民衆はヒトラーの確信の中に自己の誇大感や万能感が満たされ、ヒトラーへ理想化転移し、「ハイルーヒトラーー」の歓声となる。 しかし、これは非現実的なものであるから、破滅は早晩おとずれる。とくに現実検討の不確実な指導者のもとではなおさらである。ヒトラーを選び、ヒトラーに従った民衆