体調不良によりしばらくおまちください。内容は古いところもあるかもしれませんが自由に使ってください。何かあればコメント下さい。 「デカルト的省察」第5省察や「イデーンII」に見られるようにフッサールの他者経験の説明は、自分の身体との類比から他者が考えられ、「感情移入、自己移入」として他者経験が示されます。そして、他我は、自我との類比による転移という形で説明されます。 しかし、この説明は多くの難点を含みます。例えば、 ・動物、虫(例えばミミズ)などの他我経験はどう説明するのか?自分の身体との類比では説明し難い ・他者の身体というのは、あくまで私からは「外面的なもの」を直観して捉えられる。しかし私の身体は、「外面的なもの」として直接見えるのは部分的であり、全体は直観でなく「客観構成されたものとして」捉えられる。例えば、私の身体の外面を全く経験しない状況(生まれながらにして身体が麻痺状態で、ある方
総論 このレジュメの目的は、エドムント・フッサール(1859-1938)の思想理解と、彼の用いた術語を理解することにある。そのために、まず現象学的還元(phänomenologische Reduktion)に端を発するフッサールの学的態度を一通り示し、そこで出てくる概念の説明を試みる。それから先行思想との関係、フッサールの思想における難点の追求へと進む。ただ、この発表はあくまでも名目が院試対策であることから、その形式、書式は共に一般的なレポートのそれとは異なっていることに注意されたい。 1.フッサールの方法 1-1.主客問題 「主観と客観」あるいは「認識と対象」の問題をどう解明するか、これが現象学(Phänomenologie)の第一の課題である。周知のごとくデカルトは、「神の存在証明」(Beweis des Daseins Gottes)によりこの問題に取り組んだともいえるが、結局のと
フッサールはドイツ(オーストリア)の哲学者で、「現象学」の創始者。20世紀の哲学や社会学に大きな影響を与えた。その最晩年の主著が、この『デカルト的省察』である。 デカルト的省察 (岩波文庫) 作者: フッサール,浜渦辰二出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2001/02/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 44回この商品を含むブログ (42件) を見る この本の中で、フッサールは、「我思うゆえに我あり」のデカルト原理にまで戻って、もう一度、確かなものとは何かをはっきりさせようとしている。不確かかもしれないものをぜんぶカッコに入れて除外していくと、結局、「私」みたいなものだけが残る(これはデカルトがやったこと)。でも、すぐに問題になるのは、じゃあ、「他人」っていないの?ということ。「他人」がいることまで不確かだって言うのなら、それは「独我論」じゃないのか? フッサールは、それに答
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く