■20代の編集者時代 あれは僕が23才の時、友人の松本くんが「市民目線の医療雑誌をつくろう! 」と燃えて僕も同調し、さいろ社(当時は別名だったが)という独立系出版社を共につくった。今風に言うと、出版社を「起業」した。 広告を一切載せず読者からの購読料のみで運営したため経営はたいへんだったが、スポンサーを意識せずに好きな特集を組めるため、さいろ社は徐々に評価され始めた。 雑誌の特集では、看護師不足や脳死臓器移植問題を取り上げ、全国紙やNHKにとりあげられもした。それらは単行本になり、さらに話題を呼んだ(看護婦はなぜ辞める?、四つの死亡時刻 阪大病院「脳死」移植殺人事件の真相)。 当時、僕は編集者として不登校問題を取材し、記事にしていった。そのなかから「自己決定」を題材に単行本もつくったが(『子どもが決める時代』→残念ながら絶版)、その取材活動がきっかけとなり、20代後半ころには僕は編集者から