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  • 第19回 院政の開始と後三年の役

    ○後三条天皇の国政改革 さて前九年の役が終わり、藤原頼通は関白から引退します。 そこに即位したのが、当時の摂関家を直接の外戚としない後三条天皇(位1068~72年)でした。後三条天皇は、久しぶりに自らが積極的に政治に関与する天皇で、大江匡房(1041~1111年)を登用し、国政改革に取り組みます。 当時の政府財政は苦しいもので、その理由が荘園の増加であると天皇は考えました。 そこで1069(延久元)年、延久の荘園整理令を発令。以前にもこうした荘園整理令は出されたこともありますが、地方任せで不徹底なもの。今回は中央に記録荘園券契所(記録所)を設置し、厳しく「荘園として適正かどうか」書類審査を行いました。実際、石清水八幡宮が持っていた34カ所の荘園のうち、13カ所の権利が停止されるなど、効果をあげました。 また、後三条天皇は「もっと自由な立場で政治に関わりたい」と考えていたようで、在位4年にし

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