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  • 第225回活動記録 神武天皇陵の謎

    ■ 神武天皇陵の位置 現在、神武天皇陵は橿原市大久保町字ミサンザイに治定されている。 現在の神武天皇陵の位置は、幕末に宇都宮藩が中心となって行った「文久の修陵(1863)」の際に、宇都宮藩の顧問団の検討により決定されたという。 神武天皇陵が現在の地に定められる前には、陵墓の候補地は六つあり、そのうち、特に次の三つが有力であった。 畝傍山の丸山 (大和の国高市郡洞村の近く) 大和の国高市郡白橿村山のミサンザイ (神武田。現在の神武天皇陵の場所。橿原市大久保町字ミサンザイ) 四条村の福塚 (塚山ともいう。現在、綏靖天皇陵とされている。大和の国高市郡四条村。現在の橿原市四条町) 江戸時代でもっとも有力であったのは1の丸山説であり、蒲生君平や居宣長などがこの説を支持した。 宇都宮藩顧問団の中でも、北浦定政は丸山説を主張し、谷森善臣はミサンザイを推すなど意見が分かれたが、最終的には顧問団の筆頭で

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