平泉は奥州藤原氏が繁栄を築いた地。兄・源頼朝に追われた義経は、藤原秀衡のもとに身を寄せる。しかし秀衡の次男・泰衡に襲われ30年の生涯を閉じた。芭蕉が訪ねる500年ほど前のことである。 義経の居城であった高館(たかだち)に登った芭蕉は、簡潔かつ雄大に、平泉の歴史と地勢を描写してみせる。 三代の栄耀(えいよう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷(うちしき)て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。 芭蕉が杜甫の影響を強く受けていたことは、広く知られている。奥