人は誰にとっても異論のない平等を与えることができるだろうか。 ぼくは特定の思想についての素養がないから「左翼の人が考える平等の定義」だとか、そういう各思想における平等の定義みたいなものはまったく分からない。だから、ずいぶんと掴みどころのない話になると思う。ともあれ、平等にも人それぞれ定義があるんだろう。たとえば「機会の平等」こそが真の平等だという人がいる。それは多分に政治的な判断を含んだ平等の定義だと思う。或いは、十全な意味での「結果の平等」を諦めた結果、最適解として「機会の平等」をいわざるを得ないという立場もあるかもしれない。市場原理を、ある程度自浄作用が期待できるものとして。 そうした、あらゆる意味での諦念、妥協を許さないとするとき、そこに立ち現れる平等とはどんなものだろう。それは当然、機会においても、過程においても、結果においても、あらゆるフェーズで、また、あらゆる意味で平等たるべき