UNIQLO CALENDAR
「自然」という言葉を金科玉条のごとくに振りかざす。 そういう言論に出くわすと、ああまたか、とゲンナリする。それはたとえば、高度な医療行為に対する違和として、高度な科学技術への嫌悪として、生き難い現代社会への反発として、都合良く解釈され利用される。実際にはどれも「程度」と「好み」の問題にすぎない。そもそも自然と人工は対立概念ですらないとぼくは思っている。人間という生物もその営為も、すべてが自然の中に含まれている。それは勝負にならないレベルの包含関係である。鳥が巣を作り猿が社会を作るように、人間はロケットを作り街を作り国を作る。人間だけが特別だなどとはとんだ思い上がりだろう。 だいたい、薬物治療や臓器移植が不自然だというなら絆創膏を貼るのだって不自然なのである。風邪薬も氷嚢も体温計もみんな不自然だ。養生するのにベッドに寝るのも温かい服を着るのも不自然といえば不自然である。或いは、脳科学の知見を
脳科学の世界でさまざまな発見があって、 幼児にかんする情報が飛び交っています。 私はそうした脳科学の最先端の仕事に関わっていらっしゃる方々の著書や 寄稿文に、片っ端から目を通していっています。 それと同時に幼児教育に関わる文章にもたいてい目を通します。 読書中毒ですから…… そこで、とても注意が必要だな〜!と感じることがあります。 それは幼児教材の販売に関わる会社や幼児教育のチェーン店などが、 脳科学で発見された知識の一部を引用しながら、 自分の会社に都合が良いように事実をゆがめて使っていることです。 最先端の脳科学に関わる研究者のほとんどは、 子どもには育っていく自然の強い力があるから、 その自然の力を阻害したり、それに逆らうようなことをしなければ 健やかに育っていく…… といった意見なのです。 子ども知能の発達に最も必要なのは、親子の温かいコミュニケーショ
「辛い。苦しい。 けど、がんばってる。 それなのに、誰も認めてくれない。」 と、言わなくても、そう思ってる。 でも、そんなの嘘だと思う。 がんばってるわけがない。 がんばってる振りをしてるだけだ。 だって、がんばれない病気なんだから。 自覚がないならともかく。 無理やり精神科に運び込まれただけならともかく。 自分の足で、精神科に通っているなら、分かっているはずだ。 自分はがんばれない病気なんだと。 「それは分かってる。 でも、生活のため、将来のため、誰それのため、やっぱりがんばらないといけない。 そうしないと、周りからも甘えてると言われる。」 そう言って、がんばるふりをする。 できないことをやってるふりをして、自分を満足させている。 自分を卑下しながら、本当は自分を買いかぶっている。 「ほんとはやればできるんだ。 今できないのは、病気のせいなんだ。」 「今、こんなにつらいのに、こんなにがん
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く