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historyに関するm-kawatoのブックマーク (10)

  • サービス終了のお知らせ

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  • 「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」加藤聖文 著

    昭和二十年(1945年)八月十五日正午、玉音放送が流れ大日帝国臣民は敗戦を知らされた。大日帝国の崩壊はただ日の敗北を意味するだけではない。大日帝国の崩壊によって大日帝国による植民地支配体制が崩れ、新しい国家、新しい国際秩序が東アジア地域に誕生することになった。その八月十五日前後の経過を通して大日帝国下の日、朝鮮、台湾、満州、樺太・千島、南洋諸島、東南アジア諸地域が迎えた敗戦と変化を概観した一冊。 まず序章としてポツダム宣言の公表に至る諸国の駆け引きが、第一章ではそれを受けての日政府の対応が描かれる。 ポツダム会議の議題はヨーロッパの戦後処理とともに唯一抗戦する日をどうするかであった。米国内では天皇の地位を保障して早期停戦に持ち込むべきとするグルー国務次官・スティムソン陸軍長官派と天皇の地位保障を盛り込むべきでないとするバーンズ国務長官・ハル前国務長官の無条件降伏派との対立

    「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」加藤聖文 著
  • 自民 「東京裁判」や憲法の制定過程を検証へ NHKニュース

    自民党は、いわゆる『東京裁判』の判決内容や、今の憲法の制定過程などについて、党の政務調査会に新たな組織を設けて、検証を始める方針です。 これに続いて、自民党は党内の意見を受けて、いわゆる『東京裁判』の判決内容や、今の憲法の制定過程、それに、戦後のGHQ=連合国軍総司令部の占領政策などについても、党の政務調査会に新たな組織を設けて検証を始める方針です。 稲田政務調査会長は「東京裁判の結果を否定するつもりはないが、その理由の中に書かれた歴史認識はずさんなもので、日人自身が検証する必要がある」と話しています。 自民党内では、こうした動きの一方で、若手議員らが歴史の教訓を党の政策立案に生かすとともに、党内に政治理念などを巡って多様な意見があることを示そうと、有識者や戦争を体験した人たちから話を聞く勉強会を開いており、戦後70年の節目に合わせて歴史の評価を巡る議論が活発になっています。

    m-kawato
    m-kawato 2015/06/23
    安保法制の審議と並行してこんなことやって、わざわざ疑念を起こす意味が分からない
  • 英のマグナカルタ制定800年、各地で記念行事 民主主義の礎 - 日本経済新聞

    【ロンドン=小滝麻理子】中世イングランドで王権に対する規制が「マグナカルタ(大憲章)」として明文化されてから15日で800年を迎えた。成立の地とされる南東部ラニーミードで開かれた記念式典にはエリザベス女王やキャメロン首相が出席。同首相は「マグナカルタは正義と自由の議論を発展させてきた。これからもこの原則を守り続けよう」と話した。マグナカルタは1215年6月15日、重税など横暴な王権をふる

    英のマグナカルタ制定800年、各地で記念行事 民主主義の礎 - 日本経済新聞
  • ピースおおさか、沖縄戦資料を撤去 府議ら「自虐」批判 - 琉球新報デジタル

    大阪市中央区の戦争博物館「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)が4月のリニューアルに伴い、沖縄戦の実物資料を紹介するコーナーを撤去したことが19日までに分かった。ピースおおさかは展示内容を大阪空襲を中心にしたことを理由に挙げている。 資料は近く、県平和祈念資料館(糸満市摩文仁)に返還される見通し。同センターではリニューアル前、府議らが展示内容について「自虐史観」と批判した経緯があり、専門家は「『大阪空襲中心』は隠れみので、リニューアルの政治的意図は明らかだ。地域を絞ることは戦争の総括につながらない」と指摘している。 同センターは、大阪市と大阪府が共同出資した財団が運営しており、1991年に開館した。同資料館から貸し出された資料は鉄かぶとや小銃、軍など10点で、開館当初から1階で常設展示されていた。 リニューアル前の同センターでは、満州事変から太平洋戦争にかけての「15年戦争」を紹介す

    ピースおおさか、沖縄戦資料を撤去 府議ら「自虐」批判 - 琉球新報デジタル
    m-kawato
    m-kawato 2015/05/20
    これが本当の黒歴史か
  • 『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1

    どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした、2005年上映の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編で2007年上映の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観て、「いい時代だったんだな~」なんて思った方も多いんじゃないでしょうか。一方で、「『あの頃はよかった』は全部ウソ!」というキャッチコピーが付いた、2012年発行の「ALWAYS 地獄の三丁目 当は怖い昭和30年代」というが出版されていたりします。 実際にはどんな時代だったんでしょうか。残念ながら著者はそのころにはまだ存在していませんので、YouTubeで動画を探してみました。すると……、あったあったありました、結構アップされているもんですね。ということで、今回はニュース映像にみる、昭和30年代の日常をまとめてみました(それにしても、昔のニュース映像の音楽って、なんかオドロオドロシいですよね)。 ●死の覚悟が必要そうな通勤列車(

    『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1
  • グーグル:広島・長崎の原爆資料館の資料公開 日本では初- 毎日jp(毎日新聞)

  • 玉音放送から68年目の暑い夏に寄せて - 雑種路線でいこう

    8月15日ゆるゆると六木通りを歩いていたら溜池交差点で街宣車の縦列をみかけ、そうか今日は玉音放送の日かと往時に想いを馳せた。日ではこの日を終戦記念日というが、国際的には東京湾に停泊した戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書を調印した9月2日こそ正式な終戦とする主張もある。では日国民にとって8月15日にどういう意味があったかと考え直すと、正午の玉音放送で天皇陛下のご聖断が国民に知れ渡り、土決戦を主張する陸軍の野望が最終的に潰えて、国民がやっと総動員体制から解放された、いわば戦後の始まった記念日だろうか。 戦後生まれの僕は先の大戦に対して奇妙な被害者意識を持っていた。9.11から間もなくSan Diegoに出張し、僕はアフガン戦争に批判的であったが、多くの家が星条旗を掲げたSan Diegoの閑静な住宅街で「東京大空襲の日も、この街は同じように静かだったのだろうか」と考えて圧倒的な非対称性を意

    玉音放送から68年目の暑い夏に寄せて - 雑種路線でいこう
    m-kawato
    m-kawato 2013/08/17
    "戦争を支えた権力構造と宮仕え根性は今なお僕らの内側に健在であって、先の戦争は愚かな先人たちの無謀な失敗ではなく、現在へと地続きの宿痾ではないか。"
  • 『特高月報』に見る、戦時中の国民の本音

    戦前・戦中の日には特高(特別高等警察)という恐ろしい警察組織がありました。政治的・思想的活動を弾圧するのです。拷問で殺された人達もいます。 「特高月報」という内部文書に記された当時の日人の落書き等には、現代の人間が叫ぶ「反戦」「反天皇」より切実な呪いがこもっています。便所の落書まで監視した特高を滑稽だと笑えない恐ろしさが伝わってきます。 ※ 「天皇の玉音放送」については、「『特高月報』に見る、戦時中の国民の音」という、まとめのタイトルからは外れますが、興味深かったので、一緒にまとめました。

    『特高月報』に見る、戦時中の国民の本音
  • 特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ - 毎日jp(毎日新聞)

    危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う> 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日

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