今日3月31日は、凛虞さん主催、rudolf2006さん・うぐいすさん共催の「ハイドン・カルテットの日」です。 ハイドンは「交響曲の父」であるとともに、「弦楽四重奏曲の父」であることは有名な話です。実際、4楽章からなる弦楽四重奏曲形式は、ハイドンの、特に作品20の「太陽四重奏曲」以降の諸作品によって確立されたというのが専門家の考えのようです。 またハイドンは、生涯に60曲以上の膨大な弦楽四重奏曲を作曲しました。しかし残念なことに、「ひばり」「五度」「皇帝」など仇名つきの数曲を除き、今ひとつスポットが当っていないのが現状ではないでしょうか。 しかし、これは私の個人的な意見ですが、ハイドンの弦楽四重奏曲に凡作は1曲もありません。仇名つきでない、ほとんど無名の曲を聴いていても、良い曲だなあと実感させられる場合が多いのです。仇名以外の多くの作品群になかなかスポットが当らないのは、大変残念なことです
今、明日のシベリア越え便の24時間前チェックインをしたけど、まだ絶対に出発前に終えねばならぬ原稿が終わっておらず、人形町の靴屋に直ってきた靴を取りに行かねばならず、上野のパシフィカQには掲載誌を渡しに行かねばならず(「このチョーキって先生はドイツに留学してた人で、アルディッティ至上主義の人で、カーターは個人的には知らない人で…」ってボロクソなCD評の意味を説明せねばならんので、お願いします、では済まぬ。プロの評論家さんが己の見識と美意識を世間に表明した真っ当なお仕事ですから文句を言う筋合いはありませんけど、あたしとすりゃ、面倒な仕事を増やしてくれるなぁ。批評家やブロガーの皆様、皆さんが思っている以上に、日本語にアクセスできる外国人演奏家は多いんですよ!)、その後には浜離宮にまわらねばならず… そんななかでひとつ、今書かないと忘れちゃいそうなこと。 細かい部分なのでご覧になっていない方も多い
こんなことを書くと、心優しい人々から袋叩きにされ、あいつは人間らしらの欠片もない奴だと人格を疑われるだろうから、書くべきではないのだろうなぁ、と思ったんだけど、やっぱり耐えられないんで書きます。殆ど無意味な駄文です。 なお、演奏の中身に関しては、一切触れるつもりはありません。小生は自分の感想を売文商売の最も重要なソースにする「評論家」じゃあありません。あたしが演奏をどう思ったかなど、商品になるほどのものではない、世間にはどーでも良いことだし、ましてや不特定多数の方に教えるつもりなどサラサラありません。そういうことに関心のある方は、恐らくは今晩から明日にかけてネットの海の上に山のような讃辞や感動、また一方で罵声のような悪口が溢れかえるでしょうから、そっちをご覧下さい。 ええと、アルバン・ベルクQの日本最終公演に行ってきました。入口で、「あれ、あんたはアルバン・ベルクQは大嫌いなんだから来ない
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番&第16番posted with amazlet at 08.06.02アルバン・ベルク四重奏団 EMIミュージック・ジャパン (2004-12-08) 売り上げランキング: 3743 Amazon.co.jp で詳細を見る 解散が決まっているアルバン・ベルク四重奏団のフェアウェル・ツアー、日本公演の最終日を聴きに行ってきた。曲目は、ハイドンの弦楽四重奏曲第77番、ベルクの弦楽四重奏曲、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番、という3曲。 解散の理由は、メンバーが語るように「技術的な衰え」に所以しているように思われる。しかし、これは「メンバー全体」のというよりも、本当のところ、第一ヴァイオリン奏者のギュンター・ピヒラーに大きく要因があったのではないだろうか。今日の演奏だけで判断するのは大きな間違いかもしれない。しかし、速いパッセージでの発音がやや曖昧になり
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く