タグ

2018年6月21日のブックマーク (2件)

  • 「慎吾ママのおはロック」は僕の最大のヒットかもしれない――小西康陽×速水健朗×おぐらりゅうじ #2 | 文春オンライン

    小西 あれは90年だから、『月面軟着陸』の年ですね。まだそこまで名前は知られていなかったと思いますよ。そのあと、93年に初めてCMのタイアップがついた「スウィート・ソウル・レヴュー」を出しましたけど、それでも売れてるという実感はなかった。 速水 え、そんなですか? 「スウィート・ソウル・レヴュー」は、チャート上位にも入って、ファンがさびしがるくらいの大ブレイクでしたけど。 小西 売れた実感というのは、やっぱりインカムが入ってこないとわからないので、自分ではそれほど感じてませんでしたけどね。 おぐら 個人のお仕事としては、その直前、92年に細川ふみえの「スキスキスー」があります。これは衝撃でした。 速水 80年代のアイドルポップとは地続きではない、新しい90年代感があるポップス。 小西 彼女はグラビアアイドルだったので、そういうイメージで作りました。 速水 グラビアアイドルが歌う曲でもなかっ

    「慎吾ママのおはロック」は僕の最大のヒットかもしれない――小西康陽×速水健朗×おぐらりゅうじ #2 | 文春オンライン
  • 「ピチカート・ファイヴは売れるはずがない、と思ってました」――小西康陽×速水健朗×おぐらりゅうじ #1 | 文春オンライン

    小西 ありがとうございます。 おぐら 僕は青山学院大学の経営学部出身なので、小西さんの後輩なんです。 小西 へえ。そうですか。 おぐら いくつか受かった中から青学にしたのは、渋谷にキャンパスがあったのと、「小西康陽が卒業生にいる」というのも理由のひとつでした。 小西 ほんとですか。 おぐら 小西さんも所属していて、初期ピチカート・ファイヴのメンバーが出会った音楽サークル「ベターデイズ」の新歓ライブにも行きましたよ。 小西 もうだいぶ変わっていたでしょう。 おぐら 入学したのが2000年なので、サークルでバンドをやっているような同級生たちには、邦楽だとくるりとかクラムボンが人気でした。 小西 そういう時代ですか。 おぐら 放課後は青山キャンパスから渋谷のZESTに行って、DMRでアナログの再発をチェックして、アプレミディで女の子とお茶して、雑誌「relax」を読んで、夜になるとTHE ROO

    「ピチカート・ファイヴは売れるはずがない、と思ってました」――小西康陽×速水健朗×おぐらりゅうじ #1 | 文春オンライン