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教育と文化装置に関するmadashanのブックマーク (4)

  • Doblog - 北村耕治の日記 -

    ■ 慣れてゆく、麻痺してゆく [10/03 20:42] ■ そして10月がきた [10/02 14:06] ■ 鯛の鯛 [09/15 21:21] ■ 覚え書き、銀翼祭のこと [09/17 18:43] ■ プロメテウスの火 [09/12 22:15] ■ 別れの予感と今後の方策 [09/06 13:06] ■ ハモさん [08/30 23:59] ■ あこがれはつづく [08/26 22:48] ■ 鯛の鯛(3) →きたむらこうじ [10/02 14:14] →tosi [09/18 08:10] →いもむし [09/17 21:47] ■ 覚え書き、銀翼祭のこと(3) →きたむらこうじ [10/02 14:12] →tosi [09/18 08:06] →YUI [09/18 00:25] ■ プロメテウスの火(3) →きたむらこうじ [09/15 

    madashan
    madashan 2008/06/17
    三文オペラは好き。/異化は一つの感嘆を与えるし、考えることは感情を否定することじゃないんだけど、あまりに多くのフィクションが自分自身の前提を問い直さずに感情移入を基調としていることが最大の問題。
  • 学歴詐称事件と「反学校の倫理」 - (元)登校拒否系

    またしても政治家の学歴詐称事件が起こりました。 ★学歴誤記:高橋札幌市議が12年間 高橋忠明・札幌市議(70)=西区、自民=が初当選した83年から4選を果たした95年の市議選までの間、後援会員向けに発行した小冊子に、実際は高校中退の最終学歴を「卒業」と記載していたことが分かった。99年の選挙では「誤りに気付いた」として最終学歴を削除したというが、毎日新聞などに提出した書類は「卒業」のままだった。 冊子には「昭和28年3月、札幌光星学園卒業」と記されていた。03年の市議選で毎日新聞などに提出した書類は「中退」と改められていた。高橋市議は「後援会に任せていてチェックが行き届かなかった」と釈明している。 毎日新聞 【清水隆明】 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050324k0000m040144000c.html この事件に関し

    学歴詐称事件と「反学校の倫理」 - (元)登校拒否系
    madashan
    madashan 2008/06/14
    正しい学生とはすべての偽学生のことであり、退学した学生だけがよい学生です。そして、除籍はさらに上です。
  • たとえ話をやめてみる - 諸悪莫作

    「トリアージと選別 - 諸悪莫作」についたid:kmaebashiさんのブコメ。 「たとえ話禁止」というのが今回の騒ぎの教訓だと思ってたんですが はてなブックマーク - kmaebashiのブックマーク / 2008年5月28日 今回の件で言えば、僕は別に、そこから「たとえ話禁止」という教訓は得ていなかったりする。せいぜい『たとえ話はどこに争点があるのかをぼかしてしまう可能性があって、フレームになりやすい傾向にあるなぁ』ぐらいにしか思っていない。 当然だけど、適切な文脈の中でのたとえ話と不適切な文脈の中でのたとえ話があり得るわけで、でもそれって、別にたとえ話に限った話ではない。それに、たとえ話の文脈の背景にある論理や価値基準を対象として議論が発生したとしても、それも同様に、そういった形での議論の派生は、別にたとえ話でなくたって普通にあり得る。 ただ、「トリアージと選別 - 諸悪莫作」の前半

    たとえ話をやめてみる - 諸悪莫作
    madashan
    madashan 2008/05/30
    展開がいつもの「自称中立」とか「一般人」問題になっていっているような。「トリアージ」の話をする時に、「私は中立で平凡な一般人ですが」と前ふりをつける人が出てくるに1,0000000はてな
  • 「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog

    もちろんトリアージを拡大解釈するなってことは大事なんでしょうけど、どうして人はトリアージみたいなものを拡大解釈したがって、しかもそういうエントリには賛同ブコメがいっぱいつくんだろうってのも大事では。いや、「誰かを切り捨てなければ誰かを助けることはできない」っていうのが、彼の中で事実(Wirklichkeit)を通り越して真理(Wahrheit)にまで達しちゃってる人っていますよねっていう話なのですが。 http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200308.html#02 なぜこんなに「月宮あゆが助かる〜」という考えを僕が憎むかというと、「誰かが助かることで、他の人は助からない」という考えというのが、ある種の奇妙な「社会性」みたいなものを他人に押し付けるために使われることが多いからなのかも。 倫理的な問題を考えるときに、「思考実験を構成して、選択肢のどれを選ぶかについ

    「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog
    madashan
    madashan 2008/05/25
    あー、そうそう。このての残酷真理教は非常に鬱陶しい。勝手に殉じてればいいんだけど、他人に押し付けることでしか成立しない宗教なので。
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