戦国時代に関するmaedatoshiieのブックマーク (6)

  • 信玄の直筆書状が見つかる!【解説】弟の信繁とは - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    武田信玄の書状の新発見です! 読売新聞がスクープしております。 長野県の旧家に伝わっていたものを、山梨県の武田氏研究の第一人者の平山優さんが鑑定しました。 そもそも信玄の直筆書状は数点しか見つかっておらず、今回の弟信繁(左馬助)宛てのものは初めてとのこと。 気になる内容は、報道をもとにしますと、天文二十三年(1554年)に、信州へ進撃していた信玄(当時は武田晴信)が、信州・小諸城の攻略に向けて、弟の信繁に対して、親族や家来に戦闘準備をさせるように指示するものとのことです。 ネットにはありませんが、新聞では書状の現代語訳や識者(丸島和洋・国文学研究資料館特任助教)のコメントも載っていました。 丸島和洋特任助教のコメント 「武田家は内紛が多く、信玄が頼れる親族は少なかった。書状は信玄が信繁に信頼を寄せ、軍事上重要な役割を任せていたことを示す一級史料だ」 読売新聞での現代語訳 「様子によっては明

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  • 【書評】歴史研究者に「ですます」調で激しくDISる本郷和人著『戦いの日本史』(角川選書) - 歴史ニュースウォーカー

    うわー。日人のための世界史入門 (新潮新書)の小谷野敦さんに言及された!(DISられ気味にw) 歴史中二病 - を償うにをもってせよ 先日、郷和人さんに、「東大史料編纂所の史料だけ使って日史を書いてください」と言っていたのがいて、そんなことができるはずはなく郷さんもそう答えていたが、私は、典型的な「歴史中二病」だなと思ったのである。 「言っていたの」→わたしです。(郷さんは「十分に書けます!」と言っているのですがw) 友人(と、ぼくの方では勝手に思っている)の小谷野敦さんの『日人のための世界史入門』が売れているらしい。慶賀にたえません。すばらしい! ぼくも『世界市民のための日史入門』書いてみようかな。ま、柳の下にドジョウはいませんよね。— kazuto hongo (@diamondfloor41) June 14, 2013 @diamondfloor41 「日人のた

  • 天草五人衆 / ワードBOX / 西日本新聞

    戦国時代に天草に割拠した豪族である天草氏、志岐氏、大矢野氏、栖氏、上津浦氏のこと。離合集散しながら覇権を争ったが、肥後国南部の領主となった小西行長の傘下に入った。だが宇土城の建設工事を拒否したため、1589年に小西、加藤清正の連合軍に攻められて敗退。その後、5氏とも領主の地位を失ったとされる。廃城となった上津浦城は1637~38年の天草・島原の乱で一揆軍が利用した記録もあるという。 (2013年6月8日掲載) 戦国の「天草五人衆」 居城の姿は? 「上津浦城跡」を初調査 棚底城跡と関連深く 天草市 「城郭群を国史跡に」 天草市有明町にある中世の山城「上津浦(こうつうら)城跡」の歴史に迫ろうと、市が初の発掘調査に乗り出している。戦国時代に天草を治めた「天草五人衆」の一人、上津浦氏の居城で、これまで全体像や遺跡としての価値は不明のままだった。2009年に国史跡に指定された「棚底(たなそこ)

    maedatoshiie
    maedatoshiie 2013/06/08
    これは興味深い
  • 【速報】真田幸村の死に新説 - 歴史ニュースウォーカー

    1615年の大坂夏の陣で死んだ名将・真田幸村が、みずから首を差し出したのではなく、戦場の混乱で殺されていたという説を、読売新聞がきょう(2013年2月25日)紹介しています。 戦国マニアでは常識ですが、「幸村」という名前での確実な史料はありません。 ちゃんとした名前は、「信繁」。 幸村の死についての異説としては、むしろ死んでいないで、薩摩に逃げたというものが有名ですが、今回のは面白いですね。ちょっと調べていければ追記していきます。【追記あり、福井県バージョン】 松平文庫は、江戸時代に福井藩で作成・使用された公文書類(藩政資料)や越前松平家・福井藩校に伝来した書籍(国書・漢籍)など、一万点を超える資料群からなっています。 (福井県立博物館HPより) 1615年の大坂夏の陣で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県立図書館保管)から見つかった。

    【速報】真田幸村の死に新説 - 歴史ニュースウォーカー
    maedatoshiie
    maedatoshiie 2013/02/25
    真田幸村が、みずから首を差し出したのではなく、戦場の混乱で殺されていたという説
  • 【非のぼうの城】ちゃんと落城していた埼玉県の北条氏の城 #のぼうの城 - 歴史ニュースウォーカー

    =秀吉軍によって落とされ炎上した城の虎口。読売新聞HP 秀吉による小田原攻めの相手は、北条氏です。 南関東を支配していた北条氏の支城を、秀吉軍は圧倒的な物量で次々に落としていきます。 そんななか、城の小田原城が落ちたあとも、唯一落城しなかったのが、あの「のぼうの城」の忍城(おしじょう、埼玉県行田市)です。 なぜ「落城しなかった」についての真の理由は、過去に書いたとおり、「秀吉が小田原攻めのフィナーレを飾るパフォーマンスの地として、あえて落とさず、攻撃も禁止していた」という、物語的には残念な史実です。 10/31(映画の動画あり)のぼうの城で「でくの坊」は石田三成だった説のウソ 忍城以外は、がんがん攻め落とされています。 そんな城の一つ埼玉県所沢市の「滝の城跡」を発掘したところ、焼け落ちた虎口(こぐち)の城門の跡が見つかりました。 ちゃんと地元では「伝承」として、秀吉方の浅野長政によって1

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