小豆坂合戦天文11(1542)年説の根拠は小瀬甫庵の『信長記』(以下『甫庵信長記』)だという。小瀬甫庵という人は歴史学者・研究家に非常に評判が悪い。だけでなく甫庵を見下している感がバリバリある。にもかかわらず、その甫庵を採用して定説にするというのはいと不思議なり。 ところで、俺は小瀬甫庵という人に対する現代の歴史学者・研究家の態度に違和感を持っている。 織田信長の事跡を調べる上で『信長公記』の史料価値は極めて高いものです。それに比べると小瀬甫庵の『信長記』は大田牛一本をベースにして、読み物としてより面白くなるようにアレンジメントを加えています。彼の手によって、桶狭間合戦は奇襲攻撃になったり、墨俣に一夜城が築かれたり、長篠合戦で鉄砲三段撃ちとなったり大田牛一本に書かれていない事が記されており、その典拠となる史料がどこにもない事から、近年これらは創作であると見なされております。ただ読み物として