2019年3月14日のブックマーク (3件)

  • #32 満願寺@西新井|下関マグロ|さんぽ作家

    人々を苦しみから救ってくれる存在として、古くから日人に親しまれてきたお地蔵さま。 子どもの頃からいつも側にいる、ちょっと不思議な守り神を探す「お地蔵散歩」。 きょうもお地蔵さまを探しながら歩いています。ついついGoogleマップなどのネットの情報を鵜呑みにしてしまいがちだけれど、実は間違いも多い。 仕事で足立区の足立区役所へ行こうとGoogleマップで検索したら、足立区西新井6丁目にあると出た。実は何度か足立区役所に行ったことがあったので、おかしいなと思ったのだけれど、写真が掲載されていて、それは見覚えのある庁舎だったので、ここで大丈夫かと思った。 我が家から行くには日比谷線の西新井駅から歩いて行くようだ。以前は梅島駅から歩いて行った覚えがあるけど、思い違いだったかな。バスで行った記憶もあるけれど、検索してみても我が家からのバスの路線も出てこない。 まあ、お地蔵さまを探しながら気楽に行こ

    #32 満願寺@西新井|下関マグロ|さんぽ作家
    maguro1958
    maguro1958 2019/03/14
    コラムを書きました。Googleマップでおじぞうさん探しが大変なことに。
  • 神保町の町中華『康楽』のジャンキーな肉丼と優しい醤油ラーメンのセットが旨い

    神保町の町中華『康楽』のオリジナルメニュー「康楽丼」は他では味わえない丼ぶりです。見た目はご飯の上にホイコーローをのせたように見えますが、いただいてみると町中華とは思えないジャンクな味わいで、一度べたらクセになります。そんな攻めた味の康楽丼にやさしい味わいの半ラーメンがとても良く合うんです。まさに昔ながらの醬油ラーメンという味わい。ぜひみなさんにもこの黄金コンビを味わってほしいです。

    神保町の町中華『康楽』のジャンキーな肉丼と優しい醤油ラーメンのセットが旨い
    maguro1958
    maguro1958 2019/03/14
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  • たい焼きはいつ、なぜ生まれたのか?【たい焼き誕生史 vol.1】 | Rettyグルメニュース

    【第1回】たい焼きにはたくさんの兄弟がいた こんにちは。 明治時代から昭和初期までの文化史を主に研究している、近代文化研究会と申します。 「お好み焼きの物語」という、お好み焼き歴史を書いています。こちらもぜひ読んでみてください。 さて、今回のお話は、東京都港区三田からはじまります。三田といえば、慶應義塾大学のキャンパスがあり、グルメで思い浮かぶのが「ラーメン二郎 店」です。 Takagi Tomohiro Williamさんの投稿より 画像引用元:https://retty.me/area/PRE13/ARE16/SUB1302/100000000029/26582184/ このラーメン二郎、私の専門分野である明治時代にはもちろん存在しません。 明治の中頃の慶應義塾生徒が夢中になっていたグルメは、「亀の子焼」という焼き菓子でした。 「明治の中頃から芝田村町にある亀の子焼屋は非常に

    たい焼きはいつ、なぜ生まれたのか?【たい焼き誕生史 vol.1】 | Rettyグルメニュース
    maguro1958
    maguro1958 2019/03/14
    これは重要!