韓国・扶余(プヨ)で発見された木簡に日本人とみられる名前が記されていることが、日韓の専門家の研究で明らかになった。扶余は朝鮮古代の百済の都で、木簡は7世紀のものらしい。「ナ尓波連公(なにわのむらじきみ)」(ナは那の異体字)と5文字あり、「難波」と記されるようになる大阪湾周辺に住んでいた有力者の可能性が高いとみられる。百済は飛鳥時代に日本と緊密な関係にあったが、日本人の名前が出土史料で確認されるのは初めて。 韓国国立扶余博物館が昨年、収蔵する木簡を整理。その際、「連」が身分を示す日本古代の姓(かばね)であることに学芸員の李鎔賢(イ・ヨンヒョン)さんが気づき、日韓の専門家が解読した。 木簡は長さ20.9センチ、幅1.9センチ。10年ほど前の発掘調査で出土した。形から荷物を送る時の荷札と見られる。(渡辺延志) 鈴木靖民・国学院大教授(古代史)の話 「ナニワ」という日本人の名前とみていいだろ