少女時代はモデル業もしており、1980年代にグリコ協同乳業のヨーグルトのコマーシャルに出演している。また、作家デビュー前には自主映画制作サークルに双子の妹・椎名桂子(ジャーナリスト)とともに所属してその作品に出演していた[1]。自主映画の監督を務めたこともあり、監督作品である「恋は他人の血の味」は1982年の成城学園高校の学園祭にて上映された[要出典]。 バブル景気最中の1988年にマガジンハウスから『家族輪舞曲』を上梓し、小説家としてデビュー。翌1989年に同タイトルの『家族輪舞曲』が映画化された際には自ら監督を務めた。 作家としてメディアに注目された時期は短かったが、その後は趣味のダイビングを生かした水中写真家となったり(一時期、「パシフィックジャパン水中映像協会」の理事であった)、妹と「(株)にじゅうに」という出版社を経営していた[要出典]。 2007年の雑誌記事では、東京都世田谷区