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5年目に関するmainichijpeditのブックマーク (21)

  • おんなのしんぶん・TOKIO城島:出会いに感謝 あの日の「DASH村」 - 毎日新聞

    春とはいえ、まだまだ寒暖差を感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。1年の中でも特別な思いのある3月。ある時から違った捉え方をするようになりました。この時期になると、いろんな思いを改めて胸に刻む自分がいます。東日大震災から5年。震災当日はウチのメンバーの山口達也くんと、福島県は浪江町にある通称「DASH村」で農作業をしていました。 14時46分、今までに感じたことのない揺れに、何もできずしゃがみ込むしかない自分たちがいました。一部の撮影スタッフは休憩中で、茅葺(かやぶ)きの母屋内で昼として定番のカレーライスをべていました。「早く逃げろ! 倒れるぞ!」という叫び声が村内に響き渡りました。大工の棟梁(とうりょう)である池田末治(すえじ)師匠、左官職人の林一(はじめ)師匠の指導のもと、古材で自分たちで建てた日家屋は左右に4… この記事は有料記事です。 残り364文字(全文736文

    おんなのしんぶん・TOKIO城島:出会いに感謝 あの日の「DASH村」 - 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/14
    城島茂リーダーのコラム「出会いに感謝」。今回はあの日の「DASH村」です。
  • 東日本大震災5年:YOSHIKIさん、LAで祈り - 毎日新聞

    ジャパン・ハウスの紹介イベントであいさつするロックバンド「X JAPAN」のリーダー、YOSHIKIさん=米ロサンゼルスで2016年3月10日、長野宏美撮影 【ロサンゼルス長野宏美】外務省がハリウッドに開設する日文化の国際広報拠点「ジャパン・ハウス」を紹介するプレオープニング・イベントが10日(日時間11日)、ロサンゼルスで開かれた。現地の日系人や文化芸術界などから約200人が出席、冒頭で東日大震災の犠牲者を悼み、黙とうをささげた。ロサンゼルス在… この記事は有料記事です。 残り162文字(全文312文字)

    東日本大震災5年:YOSHIKIさん、LAで祈り - 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/12
    東日本大震災5年: #YOSHIKI さん、LAで祈り
  • 再生への提言:東日本大震災5年/9止 五輪で活躍が恩返し=バドミントン日本代表選手・桃田賢斗氏 - 毎日新聞

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    mainichijpedit 2016/03/12
    バドミントン日本代表・桃田賢斗選手「悲劇を乗り越えていくために、富岡高を卒業した自分が世界で活躍することは、大きな意味がある。リオ五輪で福島の人に良いニュースを届け、結果で恩返ししたい」
  • 質問なるほドリ:被災地ツアー、どんなもの?=回答・大場弘行 - 毎日新聞

  • 東日本大震災5年:台湾からの支援に、宝塚歌劇団謝意 | 毎日新聞

    宝塚歌劇団と日の対台湾窓口機関「交流協会」が11日、東京都港区の台北駐日経済文化代表処の沈斯淳(しん・しじゅん)代表公邸を訪れ、東日大震災で台湾から寄せられた義援金などへの感謝と2月の台湾南部地震の慰問活動を実施した。 宝塚歌劇団は2013年4月と昨年8月に台湾公演を行っており、台湾にも幅広い…

    東日本大震災5年:台湾からの支援に、宝塚歌劇団謝意 | 毎日新聞
  • クローズアップ2016:復興ツーリズム拡大 被災地、学びの場に - 毎日新聞

    東日大震災の被災地で、旅行客に被災体験と教訓を伝える「復興ツーリズム」に、自治体や観光関係者が力を入れている。震災後に激減した観光客や修学旅行生が戻り始め、地域の活性化に期待がかかる。しかし、震災の風化が懸念され、継続して人を呼び込めるのかが課題だ。【川口裕之、山有紀、山内真弓】 東北3県、教育旅行回復 宮城県南三陸町で町職員ら43人が津波の犠牲になった防災対策庁舎。2031年3月まで県有化による存続が決まり、補強作業のために周囲にはフェンスが張り巡らされている。 「ここで2人の職員が最後まで防災無線で避難を呼びかけました」。「南三陸ホテル観洋」第1営業課長、伊藤俊さん(40)が2月中旬、約30人の旅行客を前に説明すると、手を合わせる人、涙をぬぐう人も。それぞれが5年前、この場所で起きたことに思いを巡らせた。 この記事は有料記事です。 残り1519文字(全文1880文字)

    クローズアップ2016:復興ツーリズム拡大 被災地、学びの場に - 毎日新聞
  • 希望新聞:東日本大震災 ボランティア、なお必要 5年…ニーズ変化したが - 毎日新聞

    mainichijpedit
    mainichijpedit 2016/03/11
    時間の経過とともに被災地のニーズは変わってきていますが、まだ多くのボランティアが必要とされています。支援の方法はボランティア以外にも、寄付・募金もあれば、観光で訪れるのも復興の一助になります。 #5年目 #
  • 質問なるほドリ:仮設住宅、どんなところ?=回答・伊藤直孝 - 毎日新聞

    3人世帯、4畳半2部屋 玄関・トイレに台所直結 なるほドリ 阪神(はんしん)大震災では5年後には仮設(かせつ)住宅に住む人がいなくなったのに、東日大震災はまだ5万人以上いるんだね。 記者 阪神大震災では倒壊(とうかい)した建物(たてもの)などを除去(じょきょ)すれば、家を建てられました。でも東日大震災は津波(つなみ)の被害(ひがい)が主です。浸水(しんすい)した土地の多くは、再び津波に襲(おそ)われる可能性がある「災害(さいがい)危険(きけん)区域(くいき)」に指定(してい)され、新たに家を建てることができなくなりました。 津波に襲われないためには街(まち)を内陸(ないりく)や高台(たかだい)に移す必要がありますが、岩手や宮城北部のように海岸線(かいがんせん)が複雑に入り組んだ沿岸(えんがん)部には、都合(つごう)の良い土地がありません。土を盛(も)ってかさ上げしたり、山を切り崩(くず

    質問なるほドリ:仮設住宅、どんなところ?=回答・伊藤直孝 - 毎日新聞
  • 特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 宗教学者・山折哲雄さん - 毎日新聞

    死者との絆、今こそ 「お地蔵さん」に託す祈り 「今、私たちの祈りの気持ちが当に死者に届いた……」 2012年。宗教学者の山折哲雄さんは宮城県石巻市立大川小学校にいて、手を合わせながら、そんな思いに突き動かされた。 東日大震災の津波で、児童と教職員84人が死亡・行方不明となった同小。校門の脇には慰霊碑、そして母が子を抱く姿をかたどった御影(みかげ)石の「子まもり」地蔵が建っていた。花が供えられ、線香の煙が立ち上る。遺族や県内外からの大勢の人の唱える御詠歌と般若心経の声が空に吸い込まれていく。 震災から1カ月半後に初めて訪れた時は、見渡す限りがれきの山だった。日常生活を突然奪われた無常感がそこここに漂っていた。「仏の影が差していない」「お地蔵さんの気配がまったく感じられない」。打ちのめされ、著書にそうつづった。 この記事は有料記事です。 残り3020文字(全文3380文字)

    特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 宗教学者・山折哲雄さん - 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/11
    宗教学者・山折哲雄さんはインタビューの間、一度だけ怒りをあらわにした。それは「自然災害を正しく恐れよう」という言葉について語りだした時だった。
  • 東日本大震災 5年目の被災地 [写真特集1/50] | 毎日新聞

    毎日新聞のニュースサイトに掲載の記事・写真・図表など無断転載を禁止します。著作権は毎日新聞社またはその情報提供者に属します。 画像データは(株)フォーカスシステムズの電子透かし「acuagraphy」により著作権情報を確認できるようになっています。

    東日本大震災 5年目の被災地 [写真特集1/50] | 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/11
    祈り、涙、別れ、静謐、再生…東日本大震災5年目の被災地を写真特集にまとめました。
  • 東日本大震災5年:会いたい、時間戻したい…大槌 | 毎日新聞

    骨つぼ(右端)がひとつだけ置かれた部屋で仏壇に手を合わせる小松則明さん=岩手県大槌町で2016年3月11日午前9時、和田大典撮影 東日大震災は11日、発生から5年の朝を迎えた。津波にのまれるなどして行方不明の人は、いまだに2561人。警察庁によると、捜索に65万人以上を投入してきたが、時間の経過とともに見つかる遺体は減り、半年間で身元を確認できたのは4人(2月末現在)にとどまる。「気持ちの整理がつかない」「あなたに会いたい」。行方不明者の家族はこの日を、胸が締め付けられるような思いで迎えた。 2人並んだ写真のそばに骨つぼは一つだけ。岩手県大槌町で志知子(しちこ)さん(当時50歳)と高校2年だった次女彬乃(あきの)さん(同17歳)が犠牲になった小松則明さん(55)。11日朝、再建した自宅の仏壇で線香を立て、お経を10分間唱えた。終わると両手で目をぬぐった。「彬乃が見つかるまでは、家内の骨

    東日本大震災5年:会いたい、時間戻したい…大槌 | 毎日新聞
  • 東日本大震災5年:2人きり、最後の1年…富岡高ゴルフ部 | 毎日新聞

    唯一の富岡高ゴルフ部員、野辺優夏(右)の練習を見守る栗西鈴香コーチ=福島市内のゴルフ練習場で2016年2月24日午前11時52分、熊田明裕撮影 日女子プロゴルフ協会(LPGA)が2006年から福島県立富岡高(富岡町)ゴルフ部に派遣する栗西鈴香・同県体育協会ゴルフ専任コーチ(50)にとって、11回目の「福島の春」。11年3月の東日大震災による東京電力福島第1原発事故後、県立福島北高(福島市)内のサテライト校に通うゴルフ部員は、4月から3年生になる野辺優夏(17)だけになった。過去10年間で女子プロ選手2人を育てた栗西コーチは、来年3月の休校に伴うゴルフ部最終年度をマンツーマン指導で臨む。【熊田明裕】

    東日本大震災5年:2人きり、最後の1年…富岡高ゴルフ部 | 毎日新聞
  • 東日本大震災5年:「働くことで供養に」…来秋再開の施設 | 毎日新聞

    ヨッシーランド跡地に花を手向け、手を合わせる但野仁美さん=福島県南相馬市原町区で2016年3月11日午前9時14分、三上剛輝撮影 死者・行方不明者636人、関連死が485人(今年2月時点)の福島県南相馬市。福島第1原発事故に伴う避難指示も一部で続いている。 「働くことで供養になれば」。利用者36人が死亡し、女性職員1人が行方不明となった南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」の元職員、但野(ただの)仁美さん(59)は11日朝、更地となった跡地に花を手向けた。来秋にも高台で再開するヨッシーランドで再び勤務するつもりだ。 施設は沿岸部から内陸約2キロにあった。但野さんらは、車椅子やベッドに乗せた利用者を駐車場に集め、毛布や上着を運んだ。「ドーン」。雷のような音で振り返ると、津波が海沿いの家を越えた。利用者3人を車に乗せ、海岸から離れた病院に駆け込んだ。

    東日本大震災5年:「働くことで供養に」…来秋再開の施設 | 毎日新聞
  • 東日本大震災5年:鎮魂の祈り…大槌の住職、苦悩5年 | 毎日新聞

    3人が眠る墓の前で手を合わせる江岸寺の大萱生良寛住職=岩手県大槌町で2016年3月11日午前9時31分、和田大典撮影 津波で市街地が壊滅し、人口の約1割に当たる1200人以上の死者・行方不明者を出した岩手県大槌町。11日朝、町中心部に近い江岸寺(こうがんじ)の住職、大萱生良寛(おおがゆう・りょうかん)さん(57)は静かに手を合わせた。檀家(だんか)約680人が犠牲になり、父秀明(しゅうみょう)さん(当時82歳)と、いずれ後を継ぐはずの長男寛海(ひろうみ)さん(同19歳)を失い、次女秀子さん(同24歳)は震災後に自殺。悲しみが癒えることはなかったが、いつかは前向きに生きられるよう願う。

    東日本大震災5年:鎮魂の祈り…大槌の住職、苦悩5年 | 毎日新聞
  • 毎日まんがニュース - 毎日新聞

    mainichijpedit
    mainichijpedit 2016/03/11
    「安全対策にやり過ぎということはない」毎日まんがニュースも東日本大震災5年を取り上げています。原発事故5年の福島は…の巻→
  • 東日本大震災5年:福島第1原発 続く汚染水との闘い、廃炉に立ちはだかる「溶融核燃料」 | 毎日新聞

    世界界最悪のレベル7となった東京電力福島第1原発事故から5年が経過した。かつて敷地内には「野鳥の森」といわれる森林があったが、今では汚染水を貯蔵するタンクが約1000基林立し、灰色の基地のような姿に一変した。 5年間の廃炉作業で、国や東電が最も労力を注いだのが汚染水対策だ。しかし、2013年にはタンクから汚染水約300トンが漏れ、海洋に流れ出ていたことが発覚。その後も汚染水の漏えいや、人為ミスによるトラブルも頻発した。 汚染水は、壊れた原子炉建屋に地下水が流入することによって1日400トンずつ増えていた。東電は汚染前の水を井戸でくみ上げるなどの対策を進め、流入量を1日150〜200トンまで減らせたとしている。

    東日本大震災5年:福島第1原発 続く汚染水との闘い、廃炉に立ちはだかる「溶融核燃料」 | 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/11
    政府と東電は福島第1原発の廃炉を終えるのは2041〜51年と想定。しかし事故後5年経過しても、1〜3号機で溶け落ちた核燃料の場所は確認できず、人類が経験したことがない廃炉作業はスタート地点にも立っていない。 #5年目 #
  • あの日これから:東日本大震災5年/3 「帰らない」で混乱防ぐ - 毎日新聞

    mainichijpedit
    mainichijpedit 2016/03/11
    2011年3月11日、首都圏では帰宅困難者が515万人発生したと推計されます。混乱を防ぐためには「むやみに移動しない」「駅に向かわない」ことが得策です。
  • くらしナビ・気象・防災:長周期地震動に備えを 高層階、家具固定は必須 - 毎日新聞

    長周期地震動の揺れをバーチャル体験する記者(中央)。右が福和伸夫教授=名古屋市千種区の名古屋大学減災館で、兵藤公治撮影 巨大な地震で起こされる長周期地震動は、高層ビルの上層階などを大きく揺らす。短周期地震動とは異なる対策が必要だという。専門家に聞いた。 名古屋大学減災連携研究センターの「減災館」の装置で、長周期地震動を模擬体験した。前後左右に動くパレットに座り、特殊なゴーグルを通して、ビルの高層階が揺れた時の室内のバーチャル映像を見る。すると、ひっくり返ったテーブルが転がってきて、脚が突いてくる。分かっていても、家具をかわそうと体が動く。20秒とたたず「あー、いかん」と声が出てしまい、装置を止めてもらった。 長周期地震動は遠くまで伝わり、ゆっくりとした大きな揺れが長時間続く。超高層ビルの上層階ほど影響を受けやすいのが特徴だ。 東日大震災では、大阪市住之江区の大阪府咲洲(さきしま)庁舎(高

    くらしナビ・気象・防災:長周期地震動に備えを 高層階、家具固定は必須 - 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/11
    巨大な地震で起こされる長周期地震動は、高層ビルの上層階などを大きく揺らします。短周期地震動とは異なる対策が必要です。専門家に聞きました。
  • 東日本大震災5年:被災地を共に考えよう 東日本大震災復興支援総局・仙台支局長、須山勉 - 毎日新聞

    高台移転や災害公営住宅への転居が進み、外灯だけが輝く平成の森仮設住宅の一角=宮城県南三陸町で2016年3月10日午後7時34分、喜屋武真之介撮影 東日大震災の被災者が初めてプレハブの仮設住宅に入ったのは発生約1カ月後の2011年4月9日だった。この時、私は岩手県陸前高田市で始まった入居の様子を伝える原稿をチェックし、東京へ送信した。当時2年が限度とされたプレハブ仮設に、5年たっても約5万8000人が暮らすことになるとは想像もしていなかった。 「これじゃ仮設住宅じゃなくて永久住宅だと言う人もいる」。先月末、宮城県石巻市内のプレハブ仮設に住む近藤孝悦さん(73)は苦笑した。同居のと災害公営住宅に移れるのは来年3月という。 この記事は有料記事です。 残り823文字(全文1065文字)

    東日本大震災5年:被災地を共に考えよう 東日本大震災復興支援総局・仙台支局長、須山勉 - 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/11
    当時2年が限度とされたプレハブ仮設に、5年たっても約5万8000人が暮らすことになるとは想像もしていなかった…
  • 伝えたい:東日本大震災5年 天国の息子へ 店を開くぞ 宮城・塩釜市 田村勉さん(61) - 毎日新聞

    「一緒に調理」約束だから 長男の龍太(りょうた)へ。 あの日、お前は「行ってくっから」と、いつものように勤め先のラーメン店へ車で向かった。「気をつけてな」と送り出したのが最後になった。地震直後、お母さん(55)と携帯で連絡が取れた時は「出勤途中の駐車場にいるけど大丈夫」と言っていたのに……。 ラーメン店への就職を決めた2010年夏、お前が「話がある」と切り出した日は忘れられない。「オヤジみたいな料理人になりたい。将来、一緒に店が持てればいいな」。そう言われた時は当にうれしかった。私が愛用していた出刃包丁と柳刃包丁、専門店で買った菜切り包丁をプレゼントしたのは、お前の思いに応えたかったからだ。 遺体安置所で再会したのは、震災発生の10日後だった。お前の顔は清らかで眠っているようだった。津波にのまれた車の後部座席からは、私が贈った包丁2が手製のサヤに入れられて見つかった。身近に持ってくれて

    伝えたい:東日本大震災5年 天国の息子へ 店を開くぞ 宮城・塩釜市 田村勉さん(61) - 毎日新聞
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    mainichijpedit 2016/03/11
    「長男の龍太へ。『オヤジみたいな料理人になりたい。将来、一緒に店が持てればいいな』。そう言われた時は本当に…」東日本大震災で亡くなった家族や、大切な人へのメッセージを伝えます。