高校のバスケットボール教師が生徒を30発、40発殴って、自殺に至らせた事件がありました。ただ、こういう乱暴な教師はいるのだろうな、とそれほど驚きはなかったのですが、それより驚いたのは、マスコミ、世間一般にも体罰を容認する声があるということです。正直、「え?本当に同じ文明人なの?」と愕然とした気持ちになりました。しまいには、子供やその親を「軟弱だ」とか「ケアが足りない」と攻める論調すら出てきています。 そこで、体罰容認論によくある擁護論にまとめて反論してみました。世間の人の言う「ある程度の体罰」でも「子供のためを思った体罰」でも、教育に体罰は認められません。 そもそも、すべての体罰容認論は、次の一言で論破できます。 議論の前提…体罰は暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら。 体罰は暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるっ
昨日の日記一般社会なら恨まれて後ろから刺されても不思議じゃないレベル - maukitiの日記の続き。というか実は省エネの為に分割してました。 そもそも論でいけば、現代における教師の皆さんに求められる役割は二種類あるわけです。つまり『教育』と『管理』と。 一般に『教育』として見た場合に「体罰=暴力」は有効じゃないだろうというのには、もちろん同意するしかないわけであります。殴って賢くなるなら皆そうればいいんですよ。殴られた数だけ賢くなる。んなアホな。だから「教育に暴力は必要ない」というお言葉には賛成するしかない。 しかし一方でその集団の『管理』として見た場合に「体罰=暴力」はそこそこ有効な手段であるわけです。教育へのポジティブな効果はなくても、少なくとも一部のバカを身も蓋もなく大人しくさせることはできる。それは世界中の統治機構がその暴力装置を潜在的に備えている点からも解るように、まぁ当たり前
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