アニメ版『マリア様がみてる』4thシーズンもいよいよ佳境に入ってきました。 ろざりおの中の人は1~4話くらいまでバカみたいに泣き通しで、半ば落ち着いてきているので、試しに百合論を纏めてみたいと思います。 本稿は男性的ファンタスムとしての百合を、ピエール・クロソウスキー著『わが隣人サド』所収の論文「悪虐の哲学者」を手掛かりとして、百合スキーでクロソウスキースキーの筆者が論じるものです。 あらかじめ明かしておくと、ここで参照するクロソウスキーのサド論は自他の所有権廃棄による万人の売春を目指しています。(『ロベルトは今夜』や『生きた貨幣』で展開されたように。) 彼はサドの作中において「文句なく中心的」であるものとしてソドミー(「男色や獣姦(じゅうかん)など、自然に反した性愛。旧約聖書に記された、悪徳の都市ソドムにちなむ称。」by大辞泉)を執拗に論じます。ソドミーが重視されるのは、生殖および理性