心がけたのは「物資を貯めずに使い、配ること」 南三陸町で兄弟2人、スポーツバーを経営していましたが、津波で店を失いました。避難した時に持っていたのは、たまたまポケットに入れていた7000円の現金と携帯電話、そして車の鍵だけ。もちろん車は津波に流されました。震災の直後は気持ちも落ち込み、避難所の隅で目立たないようにしていました。でも体が大きいので目立ってしまい、「ちょっと仕事を手伝ってよ」ということになりました。正直最初は、イヤイヤやっていた、というのが正直なところです。 仕事というのは、避難所近くに流されていた遺体の回収です。最初は9体という話でしたが、ガレキを片付けながら引き上げてみると、最終的には37体もの遺体を回収することになりました。ボロのブルーシートに包んで安置しなければいけないのが、悲しかったですね。 避難所は志津川高校に設けられていましたが(注:300人弱の被災者が避難してい