シノドスは、ニュースサイトの運営、電子マガジンの配信、各種イベントの開催、出版活動や取材・研究活動、メディア・コンテンツ制作などを通じ、専門知に裏打ちされた言論を発信しています。 専門性と倫理に裏づけられた提案あふれるこの場に、そしていっときの遭遇から多くの触発を得られるこの場に、ぜひご参加ください。 シノドス編集長・荻上チキ
![東日本大震災、体育館避難所で起きていたこと](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/db4e82598e292737a2ea2215094705aa51d05bfa/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5c63d585360000fa0a6ae83b.jpeg%3Fops%3D1200_630)
震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ
じつはぼく、震災の直後から、 ずっと早野さんのツイッターを追っかけてまして。 いつかお会いするっていうのを、 自分で勝手に決めてたみたいなところがあるんです。 でも、お会いするタイミングを選ばないと、 なんか、もみくちゃになっちゃうというか、 落ち着いて話もできないままに おしまいになっちゃうような気がして。
流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町本町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、本当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、本棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、本当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちの妻が「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま
【目 次】 1. 全般について················································································································································1 Q1 被災地(石巻市)ですべて処理できないのか。被災地に焼却炉を数多く建設すれば、現 地での処理が可能ではないか。 Q2 放射性物質の処理は封じ込めることが鉄則であり、広域処理で拡散するのは間違ってい る。 Q3 災害廃棄物の処理は、時間をかけ被災地で処理すれば、雇用の確保にもつながるので はないか。 Q4 わざわざ九州まで運搬して処理するのは、コストやエネルギーの無駄ではないか。 Q5 阪神大震災のときは、広域処理がほとんどなかったのに、なぜ、今回は必要となるのか。 Q6
町山智浩 @TomoMachi この記事はひどいデマです。在米の皆さん、そうですよね? RT @MdMdTms: @TomoMachi この記事にあるアメリカで「反日感情が高まってる」というのは本当? http://ow.ly/4hfo2 2011-03-19 03:11:10 こちょうかずこ🔶スタンプ普及活動人 @staban3 デマです。みんな心配してくれています@サンディエゴRT @TomoMachi: この記事はひどいデマです。在米の皆さん、そうですよね? RT @MdMdTms: @TomoMachi この記事にあるアメリカで「反日感情が… (cont) http://deck.ly/~VeZEU 2011-03-19 03:17:18
こんにちは。はてなブックマークニュースはこのたび、環境省の広報業務をお手伝いすることにしました。記事のテーマは東日本大震災の被災地で発生したがれきの広域処理です。記事は、前編と後編の2本で構成します。この前編では、被災地のがれき広域処理の現況と、その必要性を取材をもとにまとめます。取材と執筆は、ジャーナリストの津田大介さん(@tsuda)です。(編集部) (※この記事は環境省の提供によるPR記事です) 「みんなの力でがれき処理」――。環境省は、東日本大震災で発生した宮城県、岩手県の災害廃棄物(がれき)の広域処理を推進している。広域処理とは、被災地で発生したがれきを、被災地以外の場所で処理すること。あわせて環境省は、テレビや、新聞、ネットで大々的に、この広域処理についての広報キャンペーンをしている(本記事もそのキャンペーンの一環として取材・執筆されている)。 テレビCMは環境省の広域処理情報
感動的なムービーだったので、外国人の方にも紹介したく、英語サブタイトルを付けさせて頂きました。不適切であれば削除ください。 This movie is schene of a junior high school graduation in Tohoku after the Tsunami. One of the student representing the graduate made an address in reply to the principal's address at graduation. He looks so sad but his speech is strong and positive. This 15 years old boy displayed patiance, toughness, cooperativeness, and courage
最初に目にしたときから、何か違和感があった。 福島第一原発の事故に関する民間事故調(正式には「東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会」というらしい)の報告書が公表されたとするニュースについての話だ。たとえばこれ。 「菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調」(読売新聞2012年2月28日) 東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調、委員長=北沢宏一・前科学技術振興機構理事長)は27日、菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があるとする報告書を公表した。 報告書によると、同原発が津波で電源を喪失したとの連絡を受けた官邸は昨年3月11日夜、まず電源車四十数台を手配したが、菅前首相は到着状況などを自ら管理し、秘書官が「警察にやらせますから」と述べても、取り合わなかった。 バッテリーが必要と判明した際も、自ら携帯電話で担当者に連絡
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/03/04(日) 22:01:15.01 ID:hFurtXQQ0 更新が途絶えたというだけで死んだと言うわけでもなく、 今頃仮設住宅暮らしをしているかもしれない ただ中にはブログ仲間から亡くなったことが伝えられたり 犠牲者名簿に管理人と同じ名前が記されていたりするものも 少なくはない そんなブログをいくつか簡単な紹介とともに書いていこうと思う 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/03/04(日) 22:02:18.76 ID:uCf2aJqE0 ちょっと興味あるな 11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/03/04(日) 22:02:40.06 ID:OxldL40X0 被災してパソコンが扱える環境にないだけと信じたいな 12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお
■新日本窒素肥料が安全宣言で魚貝類を地元住民へ 原因不明の奇病が発生したとされるこの地域で不安を抱えた地元漁民が安全を宣言。 水俣漁業水揚の魚介類を安く供与する働きかけがはじまった。 「海産物は奇病とは全く無関係。地元漁業の風評被害を少しでも手助けできれば」と同社幹部。 昨今の風評で地元の漁業は大ダメージ。安心安全を知ってもらうため新日本窒素肥料が地元水産物を買い上げ 地域や熊本市の皆様へ近海の良質な水産物を安く提供して風評を飛ばしてもらうのが狙い。 漁業関係者は風評で被害を受けており、水俣産海産物の美味しさと安全安心を伝えて欲しいと話している。 昭和35年(1960年) 熊本日日新聞より いくら昔の記事とは言え、こんなに表記揺れが発生するもんかね? あと、新聞記事で「皆様」なんて使うのかとか色々疑問が。 ということで水俣病の歴史を調べてみた。wikipediaで。 水俣病 - Wikip
今日、私は断腸の思いで、市議会本会議において、震災瓦礫受入の提案の見送りについて表明しました。既に、Yahoo!のトップニュースになったりしていますので、ご存知の方も多いと思いますが、ぜひ、ちょっと長いのですが、私の表明をご覧いただければ幸いです。ほとんどノー原稿ですので、お見苦しいところがあると思いますが。ユーストはこちらです。24分54秒から、震災瓦礫の件です。 最後に、被災地のがれき受け入れに関して、御報告を申し上げます。私は、震災直後から被災地に10数回と及ぶ、何度も何度も足を運びました。5月11日には、牟田議長を含む「チーム武雄」の一員として、仙台の若林区で、実際にスコップを振るい、汚泥にまみれて作業をいたしました。また、多くの議員さんも含まれておりますが、チーム武雄として、建設業協会も含めて、120名になんなんとする皆さんたちが、実際に陸前高田市に伺われて、実際の災害ボランティ
震災直後に「anpiレポート」を立ち上げた和田裕介氏が主催する「リボーーーン」プロジェクトは、被災地の今をリアルとソーシャルを通じてつなげる取り組みを進めている。志津川高校避難所の給食(300人分×3食)を作り続けたスポーツバー経営・内田卓磨氏はリボーーーン例会での講演を通じ「被災地のネット格差がそのまま支援格差につながっている。解消を急がねば」と指摘する。 心がけたのは「物資を貯めずに使い、配ること」 南三陸町で兄弟2人、スポーツバーを経営していましたが、津波で店を失いました。避難した時に持っていたのは、たまたまポケットに入れていた7000円の現金と携帯電話、そして車の鍵だけ。もちろん車は津波に流されました。震災の直後は気持ちも落ち込み、避難所の隅で目立たないようにしていました。でも体が大きいので目立ってしまい、「ちょっと仕事を手伝ってよ」ということになりました。正直最初は、イヤイヤやっ
1995年1月、大学1年生の冬に阪神・淡路大震災が起きた。 たった数時間で現場に行ける京都にいながら、結局僕は一度も現場に行かなかった。 時を経て、震災の話が出るたびに、「なぜ自分は現場に行かなかったのだろう」と思うようになった。 恐らく何かに忙しかったんだろう。 しかし今考えみれば、それほど重要な用事があったとも思えない。 自分は小さな世界の中にいた。 2011年3月、東日本大震災が起きた。 新聞記者をやっている友人が現地の取材のためにしばらく仙台勤務になった。 転勤の挨拶メールに、「そのうち必ず行くので会おう」と返事をした。 同僚のYさんが東北の海岸を車で巡った。 南三陸のホテルは元気に営業しているからぜひ行くと良い、と会社のみんなに紹介をしていた。 大学時代の友人が仙台の近くの被災地を巡り、写真を送ってきた。 みんなにも知って欲しい、と訴えていた。 東北大学の学生チームが、TEDxT
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