タグ

哲学に関するmamezou36のブックマーク (38)

  • 一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。

    「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」というを出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、このも20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。

    一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。
  • 長文日記

    mamezou36
    mamezou36 2012/11/06
    あとで読む。。
  • 我々の住む宇宙はコンピュータシミュレーションの中には存在しえない | スラド サイエンス

    「私たちの住む宇宙は、誰かがコンピュータの中で作ったシミュレーションの世界だったんだよ!」という設定の小説などはいくつかあるが、私たちの住む世界はコンピュータシミュレーションではありえない、という答えが出たという(GIZMODO)。 元記事であるMIT Technology Reviewの記事ではもう少し詳しい背景が説明されている。そもそもの発端は、我々の世界は量子色力学という、量子同市の相互作用によって支配されているという点だ。もしこの量子色力学をコンピュータ上でシミュレートすることができれば、我々の住む宇宙をシミュレートできる可能性がある。現実的には、量子色力学は非常に複雑であるため、世界最高レベルのスーパーコンピュータを使ったとしても数フェムトメーターの世界しかシミュレートできない(1フェムトメーターは10-15メートル)。しかし、このような制限はコンピュータの性能向上によって解決で

    mamezou36
    mamezou36 2012/11/06
    哲学っぽい話かと思ったら違った。。断言しちゃうのはどうなのか。。
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのがべられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • どこでもドア - 哲学的な何か、あと科学とか

    ――ある未来の話のこと。 ついに、人類は、永年の夢であった「ドラえもん」を開発することに成功した! そして、同時に「出して欲しい道具ランキング」で常に上位であった 『どこでもドア』も開発された。 しかし、この『どこでもドア』。 原作のように、念じた場所に自由に行けるような都合の良いものは、さすがに作れず、 事前に、町中に設置されている、別の『どこでもドア』に瞬時に移動できるという ものであった。 まぁ、ようするに、「あらかじめ、決まっている場所」にしかいけないのだが、 それでも、遠くの場所に瞬時に移動することができるわけで、 充分「どこでもドア」を再現することに成功したと言える。 この「どこでもドア」の発明により、 「通勤、通学、買い物、旅行」などの移動時間は 大幅に短縮され、人類の生活はさらに快適なものになっていった。 ――そんな、ある未来の話のこと。 ●「うわぁあぁぁぁあわあぁぁああ!

    mamezou36
    mamezou36 2012/04/25
    この本は面白かったよー。。
  • Genxx.blog* : 偶有性――他者を想う可能性

    昨日の記事で扱った「偶有性」という概念が、小さな頃から考えてきたことを端的にあらわしていると気づいたので、とりとめもなく、メモしておこうと思った。 偶有性(contingency)とは、「AではなくBでもありえた/BでもありえたのにAである」こと、つまり「可能だが必然でもない/必然ではないが不可能でもない」ことだった。なにも難しい言葉を使わなくても、たとえば「運が悪い」ってのも偶有性の問題だ。論理的必然性、および明確な因果関係は無い、けれどもなぜか自分が被害者に選ばれてしまった、ということ。たとえば、運転士の速度超過など、脱線事故に必然性があったとしても、わたしの恋人が犠牲者になる必然性は存在しなかった。わたしの恋人が命を落としたのは、偶有性の問題だ。 昨日書いたことを繰り返すが、偶有性は必然性(因果関係)ではないので、それに責任を求めることは出来ない。「たまたまわたしの恋人が地震で亡くな

    mamezou36
    mamezou36 2012/03/11
    偶有性について。。勉強になった。。
  • 神経科学と日常概念―リベットの自由意志研究をめぐって―

    Benjamin Libet (1916-2007) の自由意志にかかわる(とされる)研究が,ぼくたちの日常概念にどう関係するのか,しないのか/神経科学研究者として コメントさせていただきます.Libet は 自身の 実験の 解釈に いまいち 一貫性・説得性が かけるので,実験の 結果と 解釈は わけたほうが よい.それから,いまでも この 種の 議論では Libet が 中心となるようだけれど,Hagaard, Lau, Sakai らによる 類似パラダイムでの あたらしい 成果が どんどん でているので,そちらを おわないと どうも 周回 おくれのように かんじる.などです.

    神経科学と日常概念―リベットの自由意志研究をめぐって―
  • 思考実験の面白さは異常 世界五分前仮説←これが一番 シュレーディンガーの猫はカス : 哲学ニュースnwk

    2011年07月07日22:58 思考実験の面白さは異常 世界五分前仮説←これが一番 シュレーディンガーのはカス Tweet 1:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/06(水) 23:45:19.68 ID:BQ9lOpcb0 「シュレーディンガーの」のリスク管理論 正しく怖がる放射能【12】 「ミクロな世界」と「マクロな世界」 さて、私たちの住む世界は「自然法則」に支配されています。 夢の中などは別として、現実の空間では誰もその支配を免れることはできません。 りんごは木から落ち、磁石のN極とS極は引き合い、電流を流せば豆電球が光る。 物理や化学、あるいはDNAなど生命科学の法則に私たちは従いながら生活しています。 ところが原子や分子の世界は、ちょっと様子が違います。小さな小さな水素原子1粒を取り出し、 よくよく観察してみると、同じ電気や磁気の働きが全然様変わりし

    思考実験の面白さは異常 世界五分前仮説←これが一番 シュレーディンガーの猫はカス : 哲学ニュースnwk
    mamezou36
    mamezou36 2011/07/08
    お金かからないしいいよね。実験設備も必要ない。
  • 自由意志は存在するのか(脳と自由意志の関係)

    今回は議論というより「わかりの悪い聞き手」である私にそらパパさんはじめいろいろな方が教えて下さった、という方が正しいかも。 こんなことがタダでできるというのが、ネット(Twitter)のありがたいところだと思います。(厳密に言えば、私ならNTTに回線料を@niftyにプロバイダ料を払っているので、タダとは言えませんが。ジリ貧経済状態でいつやめなきゃなんないか、わからないし・・・) どこまで発言を遡ればいいのか、どこで終わるかは、少々悩みました。

    自由意志は存在するのか(脳と自由意志の関係)
    mamezou36
    mamezou36 2010/10/16
    ”自由意志がないと考えても困難は山積みです” ここをもう少し詳しく知りたいです。
  • 「転校生とブラックジャック」はスゴ本

    心脳問題を対話により深堀りした名著。二読したけど三読する。 若いとき、一度はかぶれる独在論。つまり、この宇宙にひとりだけ「私」がいるということの意味を追求する。あれだ、2chtwitterで見かける「おまえ以外bot」を世界レベルまで拡張したやつ。 自分自身を指差して、私だということができる。でもそんな指差しなどせずに、世界中でただ一人、ただそこにいる<私>は、他の誰でもないし誰でもありえない。誰かが「私」といくら言おうとも、ここに、例外的な<私>が存在する―――この<私>が「私」であることを論理的に証明しようと問いつづける。 たとえば、「心と体が入れ替わってしまった二人を、天才外科医ブラック・ジャックが元に戻したらどうなるか(転校生とブラックジャック)」とか、「自分自身の記憶と身体を丸ごとコピーして火星へ転送したら<私>はどうなる(火星に行った私は私か)」といった、SFチックな思考実験

    「転校生とブラックジャック」はスゴ本
  • [書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣): 極東ブログ

    私は竹田青嗣氏の著作はデビュー作からほぼ網羅的に読んでいるので、初期の欲望論、そしてその基礎方法論としての一連のフッサール・現象学解説著作から、近年の「人間的自由の条件 ― ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)による、フッサールからヘーゲルに至る社会思想への深化・変遷のあたりで、竹田氏は一つの頂点を迎えたのか、あるいは学生や実際上のお弟子さんたちの教育に忙しくなったか、しばらく思想的な展開は見られないものだろうと思っていた。 そうした流れで、書「中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ」(参照)も見ていたので、書店で見かけたときは、またこれも初期の副産物的な作品かと思っていた。実際、書はかつての類書「「自分」を生きるための思想入門」(参照)とよく似ている。なお、同書については「極東ブログ: 社会システムとルール社会を越えていくもの」(参照)で触れたことがある。また竹田

  • 『意識』スーザン・ブラックモア - すべての夢のたび。

    意識 (〈1冊でわかる〉シリーズ) 作者: スーザン・ブラックモア,筒井晴香,信原幸弘,西堤優出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/02/19メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 7人 クリック: 68回この商品を含むブログ (13件) を見る 現代科学と哲学に残された最大の謎「意識」。リベットの実験を初めとするさまざまな科学的知見によって、意識に関する従来の考え方は近年大きな変更を迫られている。「意識」とは、われわれが必然的に抱いてしまう錯覚なのか? 脳科学・認知科学の最新成果を踏まえて「意識」や「自我」に関する基礎的・哲学的問題を平易に解説する。 著者スーザン・ブラックモアの名前を見て、持ってレジへ直行しました。以前に読んだ『「意識」を語る』が非常に良かったので。16人もの意識研究の大御所の科学者・哲学者・心理学者等にインタビューし、意識やらクオリアやら自由意志やらにつ

    『意識』スーザン・ブラックモア - すべての夢のたび。
    mamezou36
    mamezou36 2010/02/27
    面白そうですね。「私が月を見ていないとき、月は存在しない」という話と似てるような??似てないかな。。
  • ドクター苫米地ブログ − Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog - ライブドアブログ

    2024年03月14日06:04 カテゴリ 今年も『夢が勝手にかなう手帳』が発売される 2010年から毎年発行し続けている「夢が勝手にかなう手帳」の2024年度版(4月スタート)が今年も発売される。公式サイトでは、一般書店やamazonなどではない特典付きだそうだ。直筆サインが入る特別セットもある。以下、担当者より。 ※ ※ ※ ※ 今年もこの時期になりました。 苫米地博士考案の「夢が勝手にかなう手帳」 通称「苫米地手帳」 毎年圧倒的な支持を受けてきた、あなたのゴールに向かうこれからの1年の歩みを強力にブーストさせる最強アイテムです。 ●苫米地博士関連アイテムを扱う公式サイトでは【特典付き】で予約受付中です。 https://www.tomabetique.com/shopbrand/ct7/ ●Amazonでの予約はこちらからです。 (特典は付きませんのでご注意ください) https:/

  • オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係

    非合理批判の場では、「オッカムの剃刀(かみそり)」という考え方が登場することがある。オッカムの剃刀とは、以下のような考え方である。 現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきである。 Wikipedia 「オッカムの剃刀]」より LEVEL 1(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定の手段) オッカムの剃刀でそぎ落とされる仮説は、科学的に間違いであると考える。 LEVEL 2(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定とは無関係) オッカムの剃刀という考え方は、真偽を追うための戦略のひとつにすぎない。 剃刀にそぎ落とされるかどうかは、仮説が科学的に正しいかどうかとは無関係である。 よって、いくつかの科学的仮説の中から一つの科学的仮説を選択する手段として使うのは誤りである。 LEVEL 3(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定として有効) 科学的に「正しい」「間違っている」とは、蓋然性*1

    オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係
  • なぜ人は音楽に心を動かされるのか? - すべての夢のたび。

    最初にイイワケをしておきますが、このエントリの内容は無保証です。その上、結論は身も蓋もないです。 なぜ人は、音楽を聞いて心が動くのか。それは以前からぼくの関心事項でした。映画小説で感動するのはわかります。(人は基的に)甘いものが好きで苦いものを好まないのか、その理由もわかる。暑い寒いとか疲れた気分悪いとか、そういう状況を嫌うのも、わかる。 音楽で心が動くと言ってもいろいろあって、たとえば歌い手が歌に込めた感情がダイレクトに伝わってくるとか、歌詞から情景が目に浮かぶとか、その歌が流行っていたときの自分を思い出してしまうとか、そういうのなら、わかるんです。そうではなく、ぼくがわからなかったのは、音楽の最もプリミティブな形態、コードになぜメジャーやらマイナーやらがあって、明るく晴れやかな印象や、暗く寂しげな印象を心に呼び起こせるのか、ただの音と音の組み合わせになんでそんな技が可能なのか、それ

    なぜ人は音楽に心を動かされるのか? - すべての夢のたび。
    mamezou36
    mamezou36 2009/12/28
    短調・長調から感じるものは学習の結果なのか。だとしたら最初はどうだったんだろう?/自分に子どもがいれば実験できたんだけど。
  • left over junk

    2008-04-05 optical_frog 2008-04-05 通りすがり 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 @minorimironim 2009-02-11 @minorimironim 2012-06-02 optical_frog 2012-06-02 toohuudoo 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 dh 2012-12-31 optical_frog 2012-12-31 ponchi 2012-12-31 optical_frog

  • 真に普遍たり得るもの - すべての夢のたび。

    宇宙のどこででも、物理法則は同じように働くのだろうか? ビッグバンの瞬間以前では物理法則は破綻すると言われている。もっと大胆に、ここから遥か遠くの宇宙では物理定数の値が異なっているのではないか、この地球でも重力定数の値は長年の内にいくらか変化しているのではないか、などと主張する人もいるらしい。あるいは定数だけでなく法則そのものが別物である可能性もあるのでないか、ということを言う人もいる。 では、数学はどうだろうか? ここから遥か100億光年離れた場所で1+1を計算したら、それは地球上と同じようにちゃんと2という結果になるのだろうか。なるように思える。いや、ならないようには思えない。いつでもどこでも、考え得る限りの場所と時間に於いて、1+1は2でしか有り得ないのではないか? だがしかし、ビッグバン以前ではどうだろう? ビッグバンによりこの宇宙が始まる前はそこには何もなかった。もちろん物理の法

    真に普遍たり得るもの - すべての夢のたび。
  • 世界を丸ごと理解するために「科学哲学の冒険」

    「おまえは科学リテラシーが足りない」なんて言われると、グゥの音もでない。 理系をハナにかけてる輩からふっかけられると、いつもこうだ。でも科学ってなんなの?極論すれば、科学って宗教の一種でしょ?誰も見たこと/聞いたこと/観測すらできないことを、信じる・信じないの話じゃないの?ホラ、高度に発達した科学は魔法と変わらないなんて言うし――そんな独善に陥っていたわたしに、良いお灸になった。 もちろん原子は肉眼で見えないが、たしかに実在している。そしてその原子の当の姿について、人類は知識を深めていっている――これは"常識"の範疇なんだろうが、この常識的な考え方をただ信じるだけでなくて、議論を通して正当化しようとする――これが、書のテーマ「科学哲学」だ。 …なのだが、どうも著者が主張したい「科学的実在論」の形勢は不利だ。科学は確かに知識を深め、役に立っているのだが、哲学の凶器「相対主義」のバッシング

    世界を丸ごと理解するために「科学哲学の冒険」
    mamezou36
    mamezou36 2009/11/16
    面白そう。
  • 我思う我書く - すべての夢のたび。

    「我思うゆえに我あり」とデカルトが言ったことについて、ちょっといろいろ考えていました。 全てを疑うことが可能だとしても、それを疑う"我"が存在することだけは絶対に疑い得ない、とデカルトは言いました(多分)。では"我"の存在が他の全てのものごとの起点になるのだろうか、と考えると、それは違うだろう、と思うのです。 ことばだけを見ると、「我思うゆえに我あり」は正しいことを言っているようにぼくには感じられます。しかし、そもそも"我"とはなんなのでしょうか。"我"という概念がぼくの頭のなかにあらかじめ存在していたからこそ、ぼくはデカルトのことばを理解できたわけです。 「"我"とは○○のことである」といったように、その概念の説明には別の言葉が必要になります。知らない言葉は辞書を引くことにしても、どこかで定義はループになってしまうので、輪の外側に足場がなくてはいけない。結局は、ぼくが"辞書など引かないで

    我思う我書く - すべての夢のたび。