「右の頬を打たれたら左の頬も出せ」。かつてよく耳にした言葉です。行うのは簡単ではありませんが、憎悪と報復の連鎖によって二つの民族が果てしない悲惨な状況に陥る例などを見るとこの言葉が思い出されます。このように極端でなくとも、赦すという寛容さは民族間だけでなく諸々の集団の間、あるいは個人間でも重要な意味を持ちます。 「赦すこと」と「報復すること」が同時に満たされることは通常ありません。トレードオフの関係と言ってよいでしょう。そして両者には一定のバランスが保たれていたと考えられます。ところが報復感情を重視する近年の風潮はこのバランスを変化させ、その結果、社会から赦すという寛容さが徐々に失われてきたように感じます。この傾向はモンスターペアレントなどの活躍や医療訴訟の増加とまったく無関係とは言い切れないと思います。 マスコミは常に被害者の側に立って報道します。そして裁判の前には「極刑を望みます」とい
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