歴史とnews2012に関するmapi_amのブックマーク (6)

  • 東京国立博物館が「仏像選手権」-暫定1位は「日光菩薩坐像」

    東京国立博物館(台東区上野公園)のホームページ上で現在、「トーハク仏像選手権」が行われている。 9月25日から行われている特集陳列「館蔵仏像名品選」で展示されている仏像のうち12組の仏像を「出場選手」として、インターネット上で投票を受け付け、集計結果も確認することができる。 11月26日現在の暫定首位は「日光菩薩坐像(ぼさつざぞう)」、2位に「愛染明王坐像」が、続いて「菩薩立像」がランクインしている。「今のところ当初の予想通りの結果」と広報の奥田緑さん。人気の仏像の傾向については、「かっこいい仏像や、いかつい仏像の人気が高い」とも。 投票について「来館してから投票していただいても、投票してから来館していただいてもどちらでも構わない。今回の展示では、照明にもこだわり、仏像の細部まで際立つように工夫している。ぜひ、実物を見に足を運んでいただければ」とアピールする。投票結果については、「まだ具体

    東京国立博物館が「仏像選手権」-暫定1位は「日光菩薩坐像」
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    mapi_am 2012/11/26
    菩薩立像がすてき。
  • ハチ公の最期の写真、公開…駅員らに囲まれ眠る : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東京・渋谷駅前の銅像で知られる秋田犬「ハチ公」の最期の写真が、渋谷区郷土博物館・文学館に寄贈され、16日から同館で公開される。 ハチ公が死んだ1935年3月8日に撮影され、その後、杉並区在住の女性の手に渡っていた。ハチ公は当時から「忠犬」として広く親しまれる存在だったが、写真資料など現存するものは数少なく、同館では当時をしのぶ貴重な資料の一つとしている。 公開される写真は、渋谷駅の手荷物室で撮影されたとみられる。中央にハチ公が目を閉じて横たわり、周囲で駅員らが手を合わせている。 同館によると、ハチ公はこの日、渋谷川の橋近くで冷たくなっていたところを発見され、同駅に運び込まれた。当時11歳だった。 亡くなった飼い主を迎えに、何度も駅に足を運ぶ姿は新聞などでも報じられ、その存在は有名になっていた。乗降客や駅員もかわいがり、駅の手荷物室をお気に入りの休息場所としていたという。 寄贈した女性は、父

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    mapi_am 2012/06/16
    *閲覧注意*思っていたよりも大きいハチ公。かわいがられていた様子がうかがえる。
  • asahi.com(朝日新聞社):天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」全文 - 社会

    印刷 関連トピックスタイ王国地震原子力発電所台風東京電力  天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」の全文は次の通り。  先月マイコプラズマによる感染症を患い、入院を余儀なくされたことから、多くの人々に心配を掛けました。私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、謝意を表します。退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。  3月11日に起こった東日大震災は、今から88年前の大正12(1923)年、10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、犠牲者が出たところもありました。家族や親しい人を亡くした

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    mapi_am 2011/12/23
    災害や戦争など過去の教訓を忘れず学ぶ事の大切さ
  • 日本から心のこもった援助、「がんばれトルコ」

    ヴァンでおきた激しい地震ののち、日の人々は、東京にあるトルコ大使館の郵便ポストに現金のはいった封筒や支援のメッセージを投函して立ち去っている。 トルコがこの3月に日でおきた地震ののちに行った支援を忘れなかった義理がたい日の人々は、中にお見舞いや哀悼のメッセージの入った現金入りの封筒を、そっと残し立ち去っている。 中にはトルコ語で「トルコTurkiye、救助用kurtarma icin」のようなメモが添えられ、封筒に入れられた現金がトルコの在東京大使館にあつまっている。その多くは匿名である。5歳の子供からの「ガンバッテ(Ganbatte)・トルコ」という手紙も、郵便ポストに投函された手紙のなかで特に注意をひいていた。 現金入りの封筒に添えられ、その一部は匿名の、あるいは、年齢と性別だけを書いたメモには、次のような言葉がかかれていた。 「地震にあった方々にお見舞い申し上げます。3月に日

  • 【東日本大震災】1300年前の縁…東大寺が1億円寄付 銀行借り入れ「宮城の文化財修復に」 - MSN産経ニュース

    奈良市の東大寺は7日、今月中にも銀行から1億円を借り入れ、東日大震災の被災地に義援金として日赤十字社奈良県支部を通じて寄付すると発表した。 同寺によると、天平時代の大仏造営の際、宮城県涌谷町から献上された砂金が大仏に鍍金(ときん)されるなど、同県とは縁が深いという。 この日、奈良市内で会見した同寺の北河原公敬別当は「千年に一度ともいわれる広範囲な災害であり、借財して義援金を届けることにした。被災地で被害を受けた文化財の修復にも役立てていただければ」と話した。

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    mapi_am 2011/04/10
    天平時代の縁。
  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地

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