トップ > 三重 > 11月23日の記事一覧 > 記事 【三重】 かっぱの恐怖、今も 約束破りキュウリ栽培30年 Tweet mixiチェック 2013年11月23日 「キュウリ作らず」の禁を解く際に建てられたカッパ碑=熊野市飛鳥町の大又川河岸で 水難をもたらすかっぱを近づけまいと、キュウリの栽培を三百年間禁止してきた熊野市飛鳥町小阪の平(だいら)集落が、栽培の禁を解いてから今年で三十年の節目を迎えた。キュウリの栽培を避ける住民は今もおり、かっぱの恐怖を払拭(ふっしょく)するには時間がかかりそうだ。 大又川のほとりにある高さ四十センチの石碑。「キュウリ作らず」の禁を解いた一九八三(昭和五十八)年、住民がおはらいをした場所だ。平集落は大又川が蛇行する内側にあり、稲作農家など十一世帯が暮らす。 市史によると、集落近くでは大雨の時、川に落ちて死ぬ人が多く、かっぱの仕業と恐れられた。ある時、牛を
中近東文化センター(東京都三鷹市)付属アナトリア考古学研究所が発掘調査しているトルコ中部のビュクリュカレ遺跡で今月上旬、水晶のような石に金や宝石で象眼を施し、ヒョウとみられる動物の頭部をかたどった彫像が出土した。 アッシリア商業植民地時代(紀元前20~前18世紀頃)のものとみられる。当時これだけ豪華で精巧な彫像は珍しく、アフガニスタン産の青い宝石「ラピスラズリ」を使うなど、交易の広がりを示す貴重な遺物となる。 彫像は長さ3センチ、幅2・2センチ、高さ1・6センチ。両目は縁を金で象眼し、片方は失われているが、直径3ミリのラピスラズリを埋め込んでいる。斑点39か所のうち、24か所に青いガラスの象眼が残り、首の下には青銅製の金具がついていた。
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