まだ肌寒さの残る4月2日、私は釜石を訪れた。 津波や戦争、不況など、これまでも多くの試練を経験しながら、忍耐と団結で乗り越えてきた釜石は「希望再生のまち」だ。 希望と社会の関係を考える「希望学」を始めて以来、何度となく釜石を訪れてきた。 そこで希望を生むには「動いて、もがくこと」が大切だと教わった。困難も「3人わかってくれる人がいたら大丈夫」なこと、苦しいときこそ一度「大きな声で笑ってみればいい」ことも知った。 今回、釜石の友人と再会したとき、私は心の底からホッとした。同時に、どんな言葉をかけたらいいか、迷った。 そんなとき、彼の方から言ったのだ。「このたびは、ご愁傷さまでした」。 震災の2週間前、私は父を病気で亡くしていた。自分たちが今、過酷な状況にあるにもかかわらず、それでも相手を気づかうやさしさが、岩手の人たちにはある。 いつも呑(の)ん兵衛横丁などで底抜けに明るく酒を酌み交わしてき
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く