ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (32)

  • ネットの「引きずりおろそうとする力」について - いつか電池がきれるまで

    note.mu このひとりの女性の決断に対して、「はてなブックマーク」でのコメントが容赦なさすぎる、ということで、友達が苦言を呈し、それがまた炎上し……という流れになっているようです。 ちなみに、最初のエントリに対するブックマークコメントというのは、こんな感じ。 b.hatena.ne.jp で、苦言を呈している、彼女の友人のブログがこちら。 aitabata.hatenablog.com そのブックマークコメント。 b.hatena.ne.jp 僕がこの最初の女性の『note』を読んで思ったのは、「まあ、好きにやればいいじゃん、まだ若いんだし」ということでした。 そもそも、こんなに叩かれるような話かね。 僕が「メジャーリーガーになるために、仕事をやめて野球をやる!」とか突然言ったら「オッサン、自分の年と現実を考えろよ!」とバッシングされても当然、ではあると思いますが、この人は、これまで競

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  • なぜ僕たちは「まるでテキストサイトのようじゃ!」とはしゃいでしまうのか? - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp どうして、はてなのおじさんおばさんは、おもしろい文章をみつけると、まるでテキストサイトのようじゃ!テキストサイト!テキストサイトを彷彿とさせるぞい!侍魂みたいじゃのう!ヒャッホー!といってはしゃぐのですか。 あらためて問われてみると、どうしてなんでしょうね、これ。 僕も「テキストサイトくずれ」みたいなものなので、ヒャッホー!ってやってしまうのですが、今、あの妙にテンションばかりが高くて、内輪ノリで文中リンクで馴れ合い、掲示板には「面白いサイトですね!今度僕のサイトにも遊びにきてください! http何某」みたいなサイトがあったとしても、「陶しい」以外の何物でもないかな、とは思うんですよ。 でも、当時はすごく楽しかったような記憶があります。 ただ、そういう記憶って、年とともに美化されやすい面があって、当時は僕も読んでほしくて人気サイトに絡もうとしたり、掲示

    なぜ僕たちは「まるでテキストサイトのようじゃ!」とはしゃいでしまうのか? - いつか電池がきれるまで
    marsrepublic
    marsrepublic 2016/01/25
    一般化、大衆化ってこういうことなんだよね。歴史は繰り返すけど、繰り返した時には違うセグメントのものになっている。ゲームもアニメも、ロックフェスとかもたぶんそう。
  • 『ジャパネットたかた』高田明前社長が伝えてきたこと - いつか電池がきれるまで

    stamefusa.hateblo.jp togetter.com 「ジャパネットたかた」の高田明前社長の最後の生放送、僕が住んでいる地域の地上波では観られず、こんなことになっていたというのを放送直後にネットで知りました。 観たかったなあ、これ。 個人的には、今後も2年に1回くらいは放映されるであろう『ラピュタ』よりも観ておきたかった。 いまや、ネットショッピングが一般的なものになってしまって、テレビ通販には「時代遅れな感じ」もあるのですが、『ジャパネットたかた』は、そんななかでも健闘しているようです。 これまで僕が見聞きしてきた、高田明前社長の発言のなかから、興味深いものを集めてみました。 『ダ・カーポ』610号(マガジンハウス)の特集記事「通販業界バカ売れの秘密」の「『ジャパネットたかた』高田明社長インタビュー」より。 インタビュアー:視聴者に訴える、注目されるMCのコツとは。 高田:

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  • 「医学部に進んでしまったけれど、医者にはなりたくない」という増田さんへ - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp 僕には僕自身の経験からしか語れないのだけれど、それでもこの増田さん(「はてな匿名ダイアリー」の著者は、「増田」と呼ぶのが慣例なのです)の選択に、少しでも役に立てればと願いつつ書きます。 僕自身、あまり医者になりたくなかったのに、結果的になってしまった人間なので、増田さんの気持ちはわかる。 僕の父親は医者で、普段は「お前は医者にならなくても、好きなことをやってもいいよ」と言ってくれていたのですが、高校時代の模試で一度法学部希望にしたら、あからさまに機嫌が悪くなったのを覚えています。 僕の人生の「職業選択における希望」は、弁護士か文系の学者(できれば歴史学者、「ヤン・ウェンリー症候群」ですね)、もしくは「ものを書いてべられる人」だったんですよね。 あと、ゲームをつくる人や、ゲーム雑誌の編集者にも憧れたなあ。 ただ、そういう親の「暗黙の期待」みたいなものを裏

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  • ベッキーさんと「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんの不倫騒動について、とりとめもなく語ってみる。 - いつか電池がきれるまで

    biz-journal.jp 昨日は、ベッキーさんと「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音さんの不倫騒動の話題でもちきりだった。 どちらのファンでもない僕にとっては、来どうでもいい話ではある。 北朝鮮の水爆実験より、ベッキー不倫かよ、という声も少なからずあったのだが、自分に直接関係ない、どうでもいい話だからこそ、日常会話のネタにしやすい、というところもあるのだよね。 北朝鮮の水爆の話とかだと、「水爆怖いですね」「そうですね」で終わってしまうものなあ。 この「新婚にもかかわらず、長年サポートしてくれた糟糠のを捨てて、ベッキーと不倫イブ&実家訪問」についてどう思うか、というのは、ある意味その人の「倫理観」とか「恋愛観」を測るうえで、わかりやすい試験紙でもあるし。 fujipon.hatenadiary.com 「ずっと苦労してきた人が、成功した途端に、一緒に苦労してきた人に陶しさを感じ

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  • 『スプラトゥーン』戦略で、2016年のインターネットを生きる。 - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp たしかに、絵馬って、見ているとけっこう面白いんですよね。 なんかやたらと上手いイラストを描いている人とか、恋愛関係の「これ、10年後に読んだら恥ずかしくて死にたくなりそうだな」っていう惚気を書く人とかがいる。 なかには、冒頭のエントリにあるような、けっこうディープというか、「こんなの書いていいのか?」という内容のものもある。 もちろん、多数派は受験とか家族関係の祈願なんですけど。 これを読んで最初に思ったのは、「まあ、こういうのはネットじゃ書けないしな」ということだったのです。 思い返すと、僕がネットに触れるようになった2000年前後って、ネットは「王様の耳はロバの耳!」って叫ぶための洞穴みたいなものだと考えている人が少なからずいて、不倫日記とか恋愛関係の赤裸々な告白とか仕事の裏事情とか他者への恨みつらみみたいな文章が溢れていたわけです。 「そういうのは

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  • もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで

    昔読んだこんな話を、読み返す機会があって。 『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年4月号の「総特集・RPGの冒険」より。 (特集のなかの「鼎談・われらの道(RPG)はどこにある」の一部です。鼎談の参加者はブルボン小林さん、飯田和敏さん、米光一成さん) 米光一成:物語とかを提示してみせるのではなく場としての世界を提出すること、つまり、今のゲームが何でもできるようなある種の「世界」を作るっていう方向に行っているのは、やっぱりゲームならではの語り口なのかもね。 ブルボン小林:それで思い出したけど、知り合いのデザイナー……というか、『ユリイカ』の表紙を装丁している名久井さんだけど、彼女が『タクティクスオウガ』を最近また買って遊んでるらしいんだけど、あれってシナリオが「ロウ(law)」「カオス(chaos)」「ニュートラル(neutral)」って大きく三つに分岐していくんだって。名久井さんは以前

    もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで
    marsrepublic
    marsrepublic 2015/02/21
    何度やってもビアンカ選んでしまったし、何度もカオスルート行ってしまった俺なので超わかります。イオナズン使えないし、「こ、殺せっ」とか言わないし、現実で幼なじみと結婚して非常に苦労してます。
  • 「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで

    明治時代、読書といえば四書五経のようなマジメな漢籍を読むことであり、絵空事を書いた「小説」は読書のうちに入らないとされていた。で、「小説のような悪書を読むのは不健全である」と新聞で論じられたりもした。ひとえに小説が新しいメディアで当時の大人達が慣れてなかったのである— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 1950年代に漫画が悪書扱いされ、日各地で焚書まがいの弾圧が行われていたのは有名だが、そのころ漫画を取り上げられて泣いていた子供たちが成長し老人になった今、誰も手塚治虫の漫画を悪書と呼ぶものはいない。— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 このツイートを読んで、以前、ネットで書いたことへの、意外な反響に驚いたのを思いだしました。 僕が子どもの頃、いまから30年くらい前だから、1980年

    「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで
    marsrepublic
    marsrepublic 2014/11/30
    「そんなわけない」って意見があることに世代間ギャップ感じてびびる。近所のゲーセンに「赤シャツ・赤パン禁止」とかいう貼り紙あったなあ。俺が小学生の時点で既にネタ化してたけど。
  • 「はてなブックマーク」が、重すぎる。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):無言ブクマ、デフォルトアイコンが多いとブクマスパムと疑われる事例について - はてブのまとめ 僕は最近どうも「はてなブックマークを重く考えすぎている人がいる」ような気がするんですよ。 その人たちは、自分の解釈を「常識」だと疑わない。 参考リンク(2):はてなブックマークとは(はてなブックマークのヘルプ) 「公式」には、 より具体的には、はてなブックマークは以下のように利用することができます。 ◾ウェブがあればいつでもアクセスできる、個人用のオンラインブックマークツールとして利用できます。 ◾ブックマークを公開できるので、はてなブックマークのユーザー同士で話題/感想を共有するコミュニティとして利用できます。 ◾旬なニュース、面白いネタ、役に立つ情報を見つけるためのメディア、情報源として利用できます。 というような具体例が挙げられていますが、どれが正しいとか「こうしてください

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  • われわれは、ファストフード店での「詰め忘れ」と、どう向き合っていくべきなのか? - いつか電池がきれるまで

    まずは、この島国大和さんの一連のツイートをどうぞ。 面倒くさかったので、メモとして書いておく。 子供がハッピーセットを欲しがったので、マクドナルドでテイクアウトするも、詰め忘れがあったようで、玩具もソースもポテトも入っているがナゲットが足りないという状況であった。仕方がないので後にレシート持って取りに行く。— 島国大和 (@shimaguniyamato) 2014, 1月 26 後なので、今更ナゲットもらっても仕方がないので、ナゲット交換券とかでももらえるとベストだったが、既定の対応は何があるの?と聞いたところ現物渡しのみとのことで、ナゲットを受け取って帰った。まあ仕方がない。— 島国大和 (@shimaguniyamato) 2014, 1月 26 仕方がないんだが、こちらは2往復するハメになっているので、不満は残る。たかだかナゲット5個ぐらいでこの面倒さ。変なクレーマーのようだ。

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  • もう一度、『なぜ今、ブログなのか』 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:『なぜ今、ブログなのか』(jkondoのはてなブログ 2011-11-19) まずは、この参考リンクを、まだ読んだことがない人はぜひ一度は、既読の人も、もう一度読んでみていただきたいと思います。 『はてな』の近藤社長のブログのこのエントリが世に出て、『はてなブログ』が格的にスタートしてから、もう2年以上になるんですね。 年のせいか、時間が経つのは早いなあ、と感慨にふけってしまいます。 このエントリが発表されたとき、実は、ブログというのは「斜陽(あるいは「オワコン」という言葉を使ったほうがわかりやすい人のほうが、いまは多いのかもしれませんね)」だという声がかなりありました。 SNSも、mixiは低迷気味で、より即時的なやりとりが短い文章でできるTwitterや、実生活とより地続きなツールとしてのFacebookが主体となりつつあった時期のことです。 あのとき、ここで近藤さんが、

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    marsrepublic
    marsrepublic 2014/01/27
    良い。
  • 「ウソ」が大嫌いなインターネットの聖人たちへ - いつか電池がきれるまで

    「ウソは泥棒のはじまり」だと言う。 もちろん、ウソは悪いことだ。 僕だって、つきたくも、つかれたくもない。 しかし、「絶対にウソをつくことが許されない世界」というのは怖くないだろうか。 息子は、3歳になった。 家の中でかくれんぼをしていて、「あっ、○○くんだ!」と僕が言うと、息子は「ちがいます。ライトニング・マックイーンです!」と答えた。 このウソつき! でも、僕は、息子がウソをつけるようになったことが、少しだけ嬉しかった。 こいつは、この世の中で生きていくための、小さな一歩を踏み出したのだ。 もちろん、すべてのウソを許しているわけじゃない。 人を傷つけるようなウソには、「そんなウソをついちゃダメ」と言っている。 絶対に、ウソをつかない子供たちがいる。 その子供たちは、「ウソをついてはいけない」という宗教の教義に忠実な親に育てられてきた。 ウソをついたら、「地獄に堕ちる」と、徹底的に罰を与

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