2010年12月14日08:10 カテゴリ本法/政治 サンデルの政治哲学 先週、自由が丘の本屋に行ったら、入口のところに『ハーバード白熱教室講義録』と本書が山のように積まれていて驚いた。日本人の感覚に合うとは思えないアメリカ的な政治哲学がこんなに受けるのは不思議な現象だが、『講義録』は『これからの「正義」の話をしよう』と内容がほとんど同じで、前著を読んだ人が買う価値はない。 サンデルを本格的に勉強しようと思う人は『リベラリズムと正義の限界』を読むかもしれないが、これは細密なロールズ批判なので、『正義論』を読んでいないと何を論じているのかわからないと思う。またロールズもサンデルもその後、立場を変えたので、最近の議論までコンパクトに紹介している本書が便利だ。 わかりやすいのは、サンデルの立場を師匠のテイラーまでさかのぼって整理し、ヘーゲリアンであるテイラーの思想から説明している点だ。テイラーを
要約: 本多勝一はかつてポル・ポト政権を賞賛していており、そしてベトナムの情報をそのまま垂れ流すことで事たれりとしていた。でもかれは純粋に社会主義を信じ切っていて、社会主義同士が争うなんてことが理解できなかったらしく、一時は明らかに困惑しきっていた。かわいそうに。そのまま自分の軌跡を見直すことなく、いまのだらしない姿に堕してしまったのは残念だが。 しばらく前から、ポル・ポトの伝記翻訳の最後のゲラチェックに入って、ついさっきそれを送り返したばかり。来年早々には本になるんじゃないかな。 さてその中で、日本におけるクメール・ルージュ報道についてちょっと調べていたんだが、そこでどうしても出てくるのが、本多勝一という人物だ。 本誌の読者に、本多勝一といってどれだけなじみがあるのかはわからない。今だと週刊金曜日の編集委員として一番有名なのかな。日本を代表する左翼ジャーナリストの一人で、クメール・ルージ
ある意味、ちきりん女史のワイドショー化が進行しており、とても興味深いのだが、またやらかしております。 誰が何をネグレクト? http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801 シングルマザーが児童二人を育てるのは大変→だから社会がもっと向き合うべき、という議論構成になっておるわけですが、 ・ 社会扶助を受けながら独身女性が育児をしているのは推定34万世帯(某保険会社調べ) ・ 今回報道では、容疑者の親の支援を容疑者が拒絶している の2点から考えるに、行政が国民保護をネグレクトという話には本来ならんはずです。まあ、充分とは言えないけれども。 むしろ、飲酒運転事故の取り締まり同様、育児ネグレストや虐待については厚生労働省や警察庁の立ち入り・介入権限を強化すべきかどうかという議論をすべきで、生活に苦しい育児ネグレクトの事例があったからといって公的支援を積み増せばいいと
英語のニュースの標題をざっと見てたら、おっ、またネタがあるよ、と思えた話があったが、エキサイト・ビックリとかに明日出てくるかもしれないし、「あのなぁ二日続けてネタ書くからマジレス・マジトラバもらうんじゃん」とご示唆もいただいたので、少しマジな話に戻す、といって、ダルフール問題をマジにやるには鬱になるほど重過ぎる。そこでつまんない話でソースなしだが、このところぼんやり考えていることを書く。 考えているのは、「国家の適正サイズ」ということだ。国家というものには適正なサイズというものがあるのではないか。各種の外交上の問題や国際問題はこの適正サイズの不都合から発生しているのではないか、とそんな感じが以前からしている。 サイズといっても単純に領土の広さということではない。むしろ、その国の総人口が一番目安になるだろう。いったい国家というのはどの程度の人口が運営に最適なのだろうか。そういう問いは成り立つ
グローバル化する政治経済の未来を予見する現代の『資本論』 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『<帝国>』以文社 イラクに対するブッシュ米大統領の「最後通告」は、彼の意図とは違う意味で歴史に残るだろう。それは不戦条約以来の「侵略戦争の禁止」という二十世紀の戦争のルールを破り、他国の主権を公然と侵害するものだからである。これは古典的な帝国主義とは違う。米国は領土を求めていないからだ。それを「石油利権」などの経済決定論で説明しようとする古い図式も、問題を見誤っている。いま起こっているのは、もっと大きな世界秩序の転換なのだ。 本書の原著は二〇〇一年、同時多発テロの直前に出版され、九・一一以後の米国の行動を予言したことで話題になった。テロリストの容疑で投獄されている著者(ネグリ)の本がハーバード大学から出版されて世界的ベストセラーになり、「現代の共産党宣言」などと絶賛されたのは、ほとんど一つ
人々はなぜ「市場原理主義」をきらうのか 山中優 『ハイエクの政治思想』 勁草書房 資本主義と社会主義の対立は前者の勝利に終わり、福祉国家と新自由主義の対立は後者の勝利に終わったようにみえる。しかし「市場原理主義」や「格差社会」を批判する人は多い。自由主義の今後はどうなるのだろうか。 ハイエクは新自由主義の元祖として知られるが、訳本もほとんど絶版になり、過去の人と思われている節がある。しかし著者も指摘するように、ハイエクは50年以上前から現在の自由主義社会を構想すると同時に、その限界も予見していた。社会主義との対比では、自由主義の優位性は明確だった。しかし自由主義が勝利し、外側に敵がなくなったとき、人々は自由主義の欠陥に不満を鳴らし始める。無政府的な市場よりも政府の介入による秩序ある社会を望むようになるのだ。 初期のハイエクは、自由は功利主義的な相対的価値ではなく、絶対的な道徳的価値だと主張
自動回転ドア事件の関連でちょっと暴言を吐いた。無意識に対幻想を基軸とした自分の考えが露出した。暴言だからなというのはある。通じると思っていたわけでもないが、それがほぼ無内容に響く世代があることは知らず、自分が不覚に思えた。俺はヤキが回っているぜと本気で思った。そして、対幻想についてぼんやりと考えた。そして考えるほどに、対幻想のありかたがまるで変わっているのだとしか思えないことに、気が付く。 対幻想とは家族幻想であり、これに対応するのは国家幻想としての共同幻想だ。そして、もう一領域、個人幻想がある。吉本隆明の公理と言っていいだろう、悪い意味でも。 駄本だなと思った橋爪太三郎「永遠の吉本隆明」を昨日ぱらっとめくりながら、いろいろ思った。駄本は駄本なのだが、こういうことを言う状況の必要性というものはあるのだろう。ただ、この本は、イントロダクションとしてはあまりいい本ではない。そして、率直に言えば
毎回、担当ディレクターが取材内容をもとに執筆、番組内容を再現。 記事の後半では、元社会部記者で「週刊こどもニュース」のお父さん役も務めた番組キャスターの鎌田靖解説委員が、「キャスター日記」として取材を振り返りながら総括する。 ◎番組ホームページは、こちら 追跡!AtoZ ~いま一番知りたいテーマを追う!超リアルドキュメント 政治から犯罪、社会問題まで、読者がいま一番知りたい話題を徹底追跡。その背景に迫ることで、時代を読み解いていく。NHKで放送中の同名ドキュメンタリー番組をウェブ用に再構成してお届けします。 バックナンバー一覧
2004年10月31日00:16 カテゴリ法/政治 職業免許 職業免許のほとんどが資格認定で代替可能だという議論は、40年前にミルトン・フリードマンが『資本主義と自由』で主張し、経済学者には広く認められている。 フリードマンが、医師や弁護士などの職業免許は中世のギルドのなごりだとしていることは興味深い。彼はギルドを「特権を守るためのカルテル」という意味で使っているのだが、最近の経済史の研究では、中世に商人ギルドのあった地域のほうが、なかった地域よりもはるかに商業が発達していたことがわかってきた(Milgrom-North-Weingast)。 つまりギルドには、何者かわからない相手と取引するリスクを減らし、疑心暗鬼による「囚人のジレンマ」で取引が起こらない状態を避けるという意味が(少なくとも初期には)あったのだ。現代でも、中坊公平氏のように不正をやると業界から「村八分」(ostracize
2004年10月30日03:35 カテゴリ法/政治 法化社会 私は、小泉内閣の重点課題である不良債権処理や郵政民営化は重要だと思うが、これは日本の「国のかたち」を変える第一歩にすぎない。最大の問題は、日本では「三権分立」が建て前にすぎず、行政にすべての権力が集中していることだ。 これはRIETIにいた3年間で痛感した。レッシグも、今年の春のお別れパーティで、日本の印象として「官僚の影響力が、法律家に比べて質量ともに圧倒的だ。米国はその逆で、私はこれを憂えているが、日本の状況もいかがなものか」といっていた。 こういう傾向は欧州にも共通らしいが、日本は明治の初めに極端に行政中心の大陸法を輸入したため、立法府がいまだに未発達で、一般国民のわからないところで「政令」とか「逐条解釈」とかいう形で事実上の法律が決まってしまう。つまり日本は、法治国家という建て前だが、実態は「官治国家」なのである。 私は
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く