もうすぐ卒業のシーズンだ。 たぶん、ここ10年の話だと思うが、この時期になると学校で飛び交う言葉がある。 「支えてくれてありがとう」 この言葉がなんとなく苦手だ。 主従関係が一瞬にして決定してしまうからだ。 もちろん、支えられる方が主、支える方が従だ。 子どもが親に使ったりする。聞くたびに、「おまえを支えるためだけに親は生きてるわけじゃないよ」と思ってしまう。思いながらも、友人(♂)などと食事に行くと、「自分にはやりたいということがないから、家族のためだけに働いていいのだ」と言っていたりして。それはそれでいいのか、と思わなくもない。しかし、子供からはっきりそう言われてしまうと、寂しい気分になるのではないかと思う。 ただ、スポーツ選手はその限りではない。 スポーツ選手の親御さんは、本当に経済的にも時間的にも、選手を支えるために使う。捧げるという表現の方が適切か。アマチュア選手は経済的に本当に