評論家の竹村健一(たけむら・けんいち)さんが8日、多臓器不全のため死去した。89歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男真一(しんいち)さん。 京都大卒業後、1955年から約8年間、毎日新聞大阪本社の「英文毎日」編集部で勤務した。 報道やバラエティーなどのテレビ番組に出演。パイプを片手に「だいたいやね…
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人気演芸番組「笑点」で長く親しまれた落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸(かつら・うたまる、本名・椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、死去した。81歳。 1951年、15歳で五代目古今亭今輔に入門し前座名今児(いまじ)を名乗った。2年半ほど落語界から遠ざかったが、61年兄弟子の桂米丸門下に移り米坊として出直し。64年歌丸と改名し、68年に真打ち昇進した。 66年に始まった日曜夕方放送の「笑点」では、一時降板したが、当初からのレギュラーメンバー。三遊亭小円遊さん(80年死去)や三遊亭楽太郎(現六代目円楽)さんとの掛け合いが、茶の間の人気を呼んだ。2006年には五代目円楽さん(09年死去)に代わって5代目の司会者を16年まで務め、高視聴率番組の安定した人気をけん引した。
毎日新聞社特別編集委員でニュース番組のコメンテーターなどを務めた岸井成格(きしい・しげただ)さんが15日、肺腺がんのため自宅で死去した。73歳。通夜・告別式は近親者のみで行う。6月中旬にも、お別れの会を開く。問い合わせは毎日新聞社社長室広報担当(03・3212・0321)まで。 東京生まれ。1967年慶応大法学部卒。同年毎日新聞社入社。ワシントン特派員、政治部長、論説委…
自自公連立政権の立役者で小渕内閣で「影の総理」と言われた野中広務(のなか・ひろむ)元官房長官が26日、京都市内の病院で死去した。92歳だった。昨年11月、同市内での会合中に倒れ、病院に救急搬送されていた。葬儀は親族のみで営む。 1925年10月、京都府園部町(現南丹市)生まれ。園部町長、京都府議、府副知事を経て、83年の衆院旧京都2区補選に自民党公認で57歳で初当選し、衆院で7回連続で当選。自治相兼国家公安委員長、官房長官、自民党幹事長などを歴任した。 田中派を割った竹下登元首相に師事し、金丸信元自民党副総裁にも引き立てられた。92年の竹下派分裂後、小沢一郎氏(現自由党共同代表)に対抗する反小沢グループの急先鋒(せんぽう)として台頭。94年の村山自社さ政権で自治相兼国家公安委員長として初入閣し、地下鉄サリン事件をはじめ、オウム真理教による事件の陣頭指揮にあたった。
イスラエル・ハマス戦闘 パレスチナ自治区ガザ地区を支配するイスラム組織ハマスが2023年10月7日、イスラエルへの戦闘を開始しました。
【ベルリン中西啓介】1990年の東西ドイツ統一を主導し、「統一宰相」と呼ばれたドイツのヘルムート・コール元首相が16日、死去した。ドイツの主要メディアが報じた。87歳だった。89年11月のベルリンの壁崩壊後、「一つのドイツ」の強大化を不安視する英仏などの懸念払拭(ふっしょく)に努め、ドイツ統一の立役者になった。 30年、西部ルートウィヒスハーフェン生まれ。46年、西独のキリスト教民主同盟(CDU)に入党。69年から西部ラインラント・プファルツ州首相を務め、76年に連邦議会議員に初当選。82年10月、CDUと姉妹政党・キリスト教社会同盟、自由民主党による保守中道連立政権の首相に就任した。98年の総選挙でシュレーダー氏(社会民主党)に敗れるまで16年間首相を務め、在任期間はアデナウアー初代西独首相を抜き戦後…
ミスタードーナツ、カルビーのポテトチップスなどのキャラクターデザインで知られるイラストレーターの原田治(はらだ・おさむ)さんが亡くなったことが10日、分かった。70歳。 東京都生まれ、多摩美術大卒。1970年、雑誌「an・an」創刊号で作品を発表して活動を開始。イギリスの古謡「マザーグース」などを…
上方落語復興 最後の四天王 戦後、滅亡寸前と言われた上方落語界の復興に尽くした四天王の最後の一人で、厳しいまでに磨き上げた芸風で知られる桂春団治(かつら・はるだんじ、本名・河合一=かわい・はじめ)さんが9日、心不全のため亡くなった。85歳だった。親族や直系の弟子らで密葬を営んだ。 1930年、大阪市生まれ。父親は二代目春団治。高校を卒業後、会社に就職するが1年で辞め、47年小春の名でデビュー。50年に二代目福団治、59年に三代目春団治を襲名した。 後に上方落語四天王と称された、三代目桂米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝(いずれも故人)とほぼ同時期の入門で、衰退していた上方落語界再生の原動力として活躍した。
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