「黄」は古代語においては、「赤」との差別化が難しく存亡の危機に晒されていたようです。上代語における「黄」の用例は少なく、学者によっては古代には存在しなかったとする説もあるようですが、「黄金」が「赤金」と表記された例はなく、多分、「赤」(彩度大)と「白」(明度大)の間をつなぐ語彙と考えられていたと思われます。 次は「緑」ですが、この語の古代における用例も非常に限定されていたようで、Green というよりは、「新芽」を意味する語だったようです。死語ですが、幼児を「緑児」(ミドリゴ)と呼ぶのは、古代人にとって赤ん坊がフレデリック・ブランが描くところの火星人のように緑色に見えたワケではなく、幼児を新芽と表現する比喩によるものです。 「青」「蒼」の意味を巡るあれこれ 「青々とした野菜」「青山」「青信号」という表現がありますが、緑なのになぜ青なのか?これは、私が小学生の時からの古い疑問なのですが、