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ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (55)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 勉強法に悩んでいるみなさんへ (5)「はっ!」と気付いた瞬間から始めればいい。

    勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 なお、ここで解説する勉強法は、大人になってももちろん活用できます。脳は、「完成型」のない「オープン・エンド」。意欲さえあれば、何歳になっても新たな学びを積み重ねることができるのです。 5、「はっ!」と気付いた瞬間から始めればいい。 勉強法を実践するにも、そもそも、勉強をする気が起こらない、なかなか勉強に身が入らないという人もいるのではないかと思います。 そのような人には、一つ、オススメの方法があります。それは、「はっ!」と気付いたら、即座に勉強を始めて、あっという間に集中するという方法です。 人間には、調子の波というものがあって、ついついだら

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 勉強法に悩んでいるみなさんへ (4)時間を自分の味方にしよう

    勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 なお、ここで解説する勉強法は、大人になってももちろん活用できます。脳は、「完成型」のない「オープン・エンド」。意欲さえあれば、何歳になっても新たな学びを積み重ねることができるのです。 4、時間を自分の味方にしよう さて、そろそろ、「勉強法」においてもっとも大切なこと、「時間」の使い方について学んでいきましょう。 受験生にとって、「時間」はもっとも貴重なものです。誰でも時間は平等に一日二十四時間与えられているはずです。それなのに、なぜかその使い方がうまい人と下手な人がいて、長い目で見ると大きな差がついていってしまうのです。 「時間」を制するもの

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 勉強法に悩んでいるみなさんへ (2) プレッシャーは、自分でかけよう。

    勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 なお、ここで解説する勉強法は、大人になってももちろん活用できます。脳は、「完成型」のない「オープン・エンド」。意欲さえあれば、何歳になっても新たな学びを積み重ねることができるのです。 2、プレッシャーは、自分で自分にかけよう。 勉強が嫌いだ、と言っている子どもの中には、お母さんやお父さん、先生に「勉強しろ、勉強しろ」と言われて、それがイヤで勉強のことを考えるのが嫌いになった、という人もいるかもしれません。 もちろん、お母さんだって、お父さんだって、先生だって、みんなのことを思って「勉強しろ!」と言っているのです。大人になって、社会に出ると、勉

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 勉強法に悩んでいるみなさんへ (1)

    いよいよ受験シーズンも格化してきました。今年受験する人たちは、そろそろ追い込みかもしれません。来年以降受験する人たちも、少しずつ緊張感が高まってきているかもしれません。 勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 1、根拠のない自信をもって挑戦しよう。 勉強は、いやだな、苦手だなと思っている人がいるかもしれません。でも、そのような考え方は、当は間違っています。勉強することは、脳にとって、一番うれしいことの一つなのです。 なぜならば、「学習」することで、世界について新しいことを知ったり、今まで気付いていなかったことに気付いたりすることは、とても深い脳の喜びにつながるからです。 最も深

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。

    表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。 風花のドアを開けたら、中森明夫さんの姿がまずは見えて、カウンターに近づいたら、すぐ横に東浩紀さんのグループが座っていた。それで、東さんと久しぶりにいろいろ話した。 元気で、言葉に力がある。ブンガク的な言い切りのセンスというのはなかなか世にはないものだから、東さんさすがだな、と思って聞いているうちに、ああ、そうかと気付きが訪れた。 表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。 そうだったのだ。表現するということは、つまり、相手とのコミュニケーション打ち切りの宣言でもあり、だからこそ、表現者は言い訳をしてはいけないんだ。 なぜか、湾岸スタジオでの松人志さんの表情がうかんだ。松さんの顔の表情、しぐ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート 「私塾」

    私塾(1)吉田松陰の松下村塾は、わずか3年しか存在しなかったが、高杉晋作など、多くの維新の志士を生み出した。これからの日、世界に新時代をもたらすのは、「私塾」であろう。 私塾(2)「大学」は、規模が大きすぎるのが欠点である。何か変えるにも、時間がかかって仕方がない。規模が大きいからこそ、ブランドとなり、学歴信仰を呼ぶ。私塾は小さいから、実質において勝負するしかない。塾長の資質を慕う人が集まり、切磋琢磨する。 私塾(3)緒方洪庵の「適塾」で、福澤諭吉は猛勉強した。病気になり、寝ようと枕を探したが、枕がない。その時になり、はじめて適塾に来て以来勉強しては仮眠し、目覚めてはまた猛勉強というありさまで、枕を使って寝たことがないことに気付いた。 私塾(4)「私塾」を始めるのに、何も要らない。喫茶店でも、自分の4畳半の部屋でもよい。補助金も、認可も要らない。ただ、「始めるよ」と言って、同志が集まれば

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート ツイッター

    『プラネットアース』などの自然史番組を制作してきた伊藤弥寿彦さん、養老孟司さんと。新潮社の足立真穂さんがお誘いくださった事会にて。 http://bit.ly/9HLBvk ツイ(1)ツイッターは、140文字だが、その中でさまざまな文章表現を工夫することができる。ツイッターの表現方法について再び考えてみたい。 ツイ(2)ツイッターは、文化的遺伝子(ミーム)の自由市場である。言葉に力があれば、リツイートされたり、返事をもらったりして拡散していく。サンゴが卵を産むような、そんな気持ちで送り出すとよい。 ツイ(3)著名人のbotのアカウントがある。その人がいかにも言いそうなことを書く。たとえばリリー・フランキーさんなど。「自分自身のbot」的に書いてみるというのも、ツイッター表現の一つの趣向かもしれない。 ツイ(4)「自分自身のbot」のように書くとはどのような意味か? 場所や時間の限定を超え

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート 「周辺視野」

    周(1)人間は、ついつい自分が今注意を向けているものにばかり気が向かいがちだが、人生において当に大切なものは、「周辺視野」の中に隠れていることが多い。 周(2)「出会い」がないと嘆く人がいる。そんな人は、周辺視野に目を向けてみよう。たとえば、仕事の打ち合わせの時に、となりのテーブルにいる人。美術館で、視野の中を横切った人。そこに、自分の人生を変える人がいるかもしれない。 周(3)人生を切り開いてくれる新しいアイデア、突破口となる何かも、「周辺視野」の中にあるかもしれない。今取り組んでいる何ものかから離れた場所にあるものに、自分に恵みをもたらすものがあるかもしれないのだ。 周(4)人間は、視野の中心にあるもの以外にも、内的な注意を向けることができる。たとえば、パーティーなどで、気になる人を視野の隅にとらえて注意を向けているような場合である。視野と注意のダイナミクスは豊饒であり、心の置き方を

  • 茂木健一郎 クオリア日記: どうせ、ベタ記事にしかならねえぜ。

    昨日、代々木公園野外音楽堂で「就活生の音フェス」があった。明治神宮の森を抜けて、駆けつけた。ちょうど、定刻の10時。しかし、少し押した。 「ユーストリームするのか?」と聞いたら、「機材がありません」などと言うので、その場でマックブックを出して、e-mobileでつないで自分でユーストリームした。生中継しながら、録画した。 最初の僕のセッションが終わって、次の杉村太郎さんが喋っている時に、舞台のそででMacBookのそばに座っていたら、実行委員の女の子が来て、「あのう、お客さんから見えないところに下がってくださいと、ディレクターから指示が来ていまして」と言う。 その女の子には全く罪がないのだが、オレはカチンと来て、「邪魔なのか?」と聞いた。そうしたら、「メディアの方もいらしてますから」というので、ますますアタマに来て、「どうせベタ記事にしかならねえぜ」と言った。 今朝の朝日新聞東京版に記事

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 太陽と龍とネオンと。

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 『空白を大切にして生きる』

    Lecture records 茂木健一郎 『空白を大切にして生きる』 2008年10月7日 高崎経済大学 (NHK前橋放送局、高崎経済大学) 講演と質疑応答 音声ファイル(MP3, 80.1MB, 87分) » 『空白を大切にして生きる』茂木健一郎氏 at NHK前橋放送局、高崎経済大学 トラックバック 番頭日記-BantoNikkiFashion,パリコレ情報,正規取扱品,来季ご予約,クリスヴァンアッシュ,ドリスヴァンノッテン,ジョンガリアーノ,シェアスピリット,ロベルトコリーナ 先日、高崎経済大学での講習と、学生との質疑応答です。 『空白を大切にして生きる』 というタイトルで、脳科学者の茂木健一郎氏。 (あたまもじゃもじゃで、NHKプロフェッショナル~仕事の流儀の人ね)。 音声ファイルで聴けます。 講演と質疑応答 音声ファイル(MP3, 80..... [続きを読む]

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 脳と人間

    茂木さんの講演は高岡高校に とても大きな印象を残していかれたと思います。 娘の話によるとあの日以来、 高岡高校の先生は茂木さんのことを 「茂木先生」 お呼びになるそうです。 (娘は何だか反発して「茂木さん」と呼んでます) 著書を購入され 校長先生のお話や授業の端々に 先生、いや、茂木さんの話が出てくるようです。 高岡高校にはすばらしい世界史の先生がいらっしゃいます。 北山先生とおっしゃいますが 娘の話からして プロフェッショナルで紹介された ドラゴン桜のモデルになられた先生にも 匹敵するぐらい どうしたら子どもたちが 世界史を愛するようになるか 日夜考えてくださる先生です。 茂木さんの講演の数日後、 北山先生は授業のある時間に 「もう、授業はいい、それより大事なことがある」 (娘は3年でけっこう1時間でも大切な時期ですが(^_^;) と、1時間を 「高岡高校110年の歴史」を語ってくださっ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ビッグイシューと社会

    「Awarenessを高める」という一節に共感しました。人間四十年以上も生きると、誰しも経験することだと思いますが、友人や知人が思わぬ事故で亡くなってしまったことを後から知ったことがありました。その時になぜ自分がこれを止められなかったのかと思いました。もちろん、実際にそんなことは不可能だったのですが。情けなく思い、その時から自分は多少は「aware」な人間になってきたように思えます。そんなきっかけはだれの人生にもきっとあるはずだと思います。ただそれに気づくかどうかの違いだけで。音声ファイル、ありがとうございます。 先ほど、こちらの音声ファイルも拝聴させていただきました。「チャリティーをビジネスにする」・・・多分、茂木さんがおっしゃりたかった言葉は、「フリーマーケット」とか、「ガレージセール」のことでは?と思いました。私も以前、出店したことがあります。お店で売れ残った犬のお洋服やグッズを中心

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 脳を活かす仕事術

    Lecture Records 茂木健一郎 脳を活かす仕事術ー「わかる」を「できる」に変わる 2008年9月8日 『脳を活かす仕事術』『ひらめきの導火線』刊行記念イベント 紀伊国屋ホール レクチャーと質疑応答 音声ファイル(MP3, 87.6MB, 95分)

  • 独学者 - 茂木健一郎 プロフェッショナル日記

    ウェブデザイナーの中村勇吾さんが ゲストでいらっしゃる。 中村さんは、灘中学校、灘高校から 東京大学工学部を卒業後、 設計会社に勤めていらした。 しかし、自分が夢見ていたような 設計の仕事がなかなかできないまま、 日常に意味を見いだせなくなっていった。 そんな中、「独学」で始めた ウェブデザインが、その独自性と 魅力で高く評価されるようになる。 「会社を辞める時には、まるで逃げる ようでした」と中村さん。 いわば「趣味」で始めた ウェブデザインの仕事が、中村さんを 大きく輝かせることになった。 中村さんの人生の物語は、「独学」 ということの大切さを私たちに 教えてくれる。 「昆虫記」のアンリ・ファーブル、 電磁気学のマイケル・ファラデー、 発明家のトマス・エディソン。 かつて、数々の「独学者」 (autodidact)がすぐれた業績を 残してきた。 入試の難しい学校を卒業した後、 いわばそ

    独学者 - 茂木健一郎 プロフェッショナル日記
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 表現者はいいわけをしてはいけない

    しばらく前に、京都大学の 学園祭での私の講演を聞かれた方から、 「表現者はいいわけをしてはいけない」 という言葉の意味について ご質問をいただいた。 これには二重の意味がある。 一つは表現者の側から見た場合、 もう一つは、鑑賞者の側から見た場合である。 表現者にとってみれば、 作品というものは一度自分の手を 離れれば勝手に流通していって しまう。 自分のコントロール不可能な 領域に入っていってしまう。 その拡散の全ての局面に、 付き添っていっていちいち説明 することはできない。 「当は、こういう意味だったんです」 「あなたのその意見は誤解です」 などと、補ったり、修正したり することは、表現者としての分に反する。 どんなにひどい曲解をされても、 真意をつかんでくれなくても、 我慢しなければならない。 自分の表現がまだ拙いから わかってもらえなかったのだと、 修練による向上を志向しなけれ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 魂の周辺視野

    富山から金沢への列車の旅は 短いがそれゆえに 車窓の風景が心地よくまた ゆかしく。 現代アートはあらゆる表現 行為の中でもっとも自由で、しかし だからこそ難しく、苦しく やりがいがある。 気づいてみると、ここの ところしばらくアートの中に浸る ことがなかった。 その日が来た。 金沢駅で、21世紀美術館の 秋元雄史館長、新潮社の大久保信久さん、 桑原茂一さん、吉村栄一さんと 合流。 ずっと行きたい場所であった。 車で行くと、思いもかけぬ 市の中心部に21世紀美術館は あった。 入り口で、作品を制作中の 日比野克彦さんに遭遇する! 日比野さんが段ボールを マテリアルとして選んだのには、 運命的符合があるんじゃないかなあ。 いつ会っても、段ボールのように芯が 強く、軽やかで、そして温かいのだ。 日比野克彦さんと秋元雄史館長。 日比野克彦さんと。 (photo by Atsushi Sasaki)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: やがてうっそうとした

    以前から、私は、 「クリエーターは言い訳をしては いけない」と言い続けてきた。 芸大の授業でも、学生たちに そう言ってきた。 作品として顕れるものが 全てで、 「当はこうだったんだ」 とか、 「こういう意味なんです」 などと説明してはいけない。 日曜日。 雷とともに激しい雨が降り、 それが上がったのをサインに 近くの公園の森を走った。 さすがに斜面はぬかるみで、 行くと自分がイノシシになった ような気がした。 走り終えて歩いている時に、 「あっ、そうか」 と思った。 野生動物は、言いわけができない。 出くわした時に、 「オレはこういうやつだから」 「実はこういうわけなんだ」 などと説明することはできない。 お互いの気配、見えるもの、 聞こえるもの、 触るものが全てである。 言い訳をしないで生きるという ことは、つまり野生動物に なることである。 千葉市の海外職業訓練協会(OVTA) に開

    mathatelle
    mathatelle 2007/07/30
    「クリエーターは言い訳をしてはいけない」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 情報倫理

    金曜日の夜。 どうも疲れていたらしく、 9時間くらいは眠った。 一度起きたのだけれども、 それから眠って、「時差スイッチ」 が入ってしまったらしい。 フジテレビで 『ベストハウス1、2、3』 の収録。 NHKで『プロフェッショナル 仕事の 流儀』の打ち合わせ。 須藤ユーリさんが 干したマンゴを「ほい」と くれる。 現在フィリピンに取材中で、 一時帰国したユーリさん。 「マンゴ」の複数形は、 「男は行く」というスペルに なることに初めて気付いた。 男ユーリ、ひとりフィリピンを行くのである。 竹内薫が、7月22日の日記で、amazonに載った自著の書評について嘆いている。 日のネット文化において「匿名性」 が強いことについては、様々な 歴史的要因があるのだろう。 個人が言挙げしにくい文化風土、 俳句や短歌などの「雅号」、 巨大匿名掲示板の隆盛。 インターネットというと、 世界共通のように思う

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 複数のものを思い切り信じろ

    » [クオリア]矛盾に生きる、もののあはれ トラックバック 葉っぱの「歩行と記憶」 双風舎企画の茂木健一郎と斎藤環の往復書簡 「脳は心を記述できるのか」で、まず、第1信「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)を読んで、過去エントリーにも感想を書きましたが、東京芸大美術解剖学教室での講義『複数のものを思い切り信ぜろ』は、イントロで、この... [続きを読む] まだココかと思うかもしれませんが、まだココです。 私もすべてはマヤカシだなと思ったことがあります。陥りやすいロジックだと思いました。 数年前に、内戦の難民キャンプに偶然行って、人間の残虐行為を思い知らされたことがあります。あまりに酷て、惨くて、人を人と思わない行為や現状に、「人権とはファンタジーだったんだ」と、打ちのめされました。色々なことが信じられなくなりました。全てマヤカシに見えまた。 帰国してこの話をすると、「人権がファンタジー