ブックマーク / mattune.hatenadiary.org (20)

  • メディアの違いを理解せよ - まっつねのアニメとか作画とか

    「メディアの違いを理解せよ」とは生徒会の一存1期1話の台詞でよくギャグのように使われるが、 この台詞はそんな軽いだけのものではない。 生徒会の一存1期監督の佐藤卓哉さんは、 元々は原画マン出身。 最初はアニメーターとして活躍し、そこから演出・コンテマン、そして監督へ。 さらにそれでは飽き足らずに脚家・シリーズ構成としても活躍している。 こういった例はそんなに多くはない。 宮崎駿さんと吉川惣司さんくらいのものではないだろうか。 つまり、アニメの主要工程を押さえた上での 「メディアの違いを理解せよ」 という言葉なのだ。 ではメディアの違いをどう考えるのか。 それが顕著に現れる部分についての話をしよう。 顕著に現れる部分、 それは「モノローグ」だ。 小説漫画とアニメではこのモノローグの意味合いがまったく違う。 小説漫画というのは時間を支配していない。 1行、1ページあるいは1コマが具体的に

    メディアの違いを理解せよ - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2013/01/07
    >>グダさん ああ、「おにいさまへ」は良い教材ですね。あのモノローグは、「おにいさまへの語りかけ」である点で普通のモノローグではないのですものね
  • スタドラ最終話の柿田爆発(推測) - まっつねのアニメとか作画とか

    って 庵野爆発の新しさというのは、 爆発の煙の塊の「数の多さ・細かさ」であり、 その点においては、板野一郎の「三日月爆発をたくさん描く」という 発想の発展とも言える。 その庵野の「細かく多く」がピークに達したのが、 知っての通り、オネアミスの翼のアレとなる

    スタドラ最終話の柿田爆発(推測) - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2011/04/10
    >>sasahiraさん、むしろ柿田さんは磯さんの影響が少ないということを書きたかったんですよ。柿田さんと敬史さんを同一視するのが本当に正しいとは思えないので
  • ウテナは凄いよその2 - まっつねのアニメとか作画とか

    そりゃすごいウテナは。 00年代はたくさんのアニメが作られたわけだけどさ、 制作者がトレーディングカードになったアニメはウテナだけだもの (アニメ様のブログから) 遊戯王とかブシロードとか言ったって、そんなことはしない。 「ヴァイスシュバルツにあのミルキーホームズが参戦!」とかはやっても 「ヴァイスシュバルツにあの森脇真琴が参戦!」 とかCMで言われてもびっくりしちゃうでしょ? 「ライドフェイズに庵野秀明にウルトラマンをライド!」 とかヴァンガードでやってたら困るでしょ? 「湖山と森脇が揃う事で『元あにまる屋』が発動、木上をデッキからサーチできる!」 とかそういうことなっちゃうでしょ? いくらまどマギが話題性重視だからって 「よし、話題性のために新房とウロブチとうめ先生をカード化しちゃうぞ」 とかやらない ヤマカンだの東だの言ったってトレーディングカードになんてならない 当たり前だ、常識的

    ウテナは凄いよその2 - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2011/02/18
    >angmarさん ウテナの「語り方」すら限定しようとする貴方は酷く不自由そうだが、「不自由をする自由」もまた自由ですからご随意に。
  • もしKURAUを見るなら - まっつねのアニメとか作画とか

    是非、8話までは見てからその先を見るかどうか決めてほしい。 そうしないともったいない、もったいなさすぎるから

    もしKURAUを見るなら - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2011/02/15
    いや、過去話もいいけどチームドクロの方も重要っす。あとダグのかっこよさ
  • スーパーヒロイン大戦にソラ・ナエギノ参戦!そして羽山淳一さんと夕澄慶英さん! - まっつねのアニメとか作画とか

    スタドラが面白くなってきたと、 真面目に思っているわけですが、 ついに綺羅星十字団総会ことスーパーヒロイン会議に 「特訓の天使」ソラが参戦! どうも、「女の子だったら絶対に耐えられない部屋」で一晩を過ごして 途中参加からこの地位に昇りつめた様子。 さすがは世界のソラ・ナエギノですな まあスーパーヒロイン会議といっても ボッカはヒロインなのか?っていうのを抜きにすればだけど いきなりどれみVSソラだったしねぇw (新旧・サトジュンピンク髪ヒロイン対決の様子。ファインとアヒルも出せよ) 演出もなかなかの冴えわたり この 疑似同ポとかいいよねぇ コンテの福田さんに加えて、 夕澄慶英さんも個人的に注目していて。 きっかけはkarimikarimiさんの クイーンズブレイドの記事 (http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20090609) この時はまだ良く分からなかっ

    スーパーヒロイン大戦にソラ・ナエギノ参戦!そして羽山淳一さんと夕澄慶英さん! - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2010/11/30
    「争いのない、みんなが笑顔になる○○」それを否定するのが榎戸洋司の仕事だもの
  • スタドラ7話・ナージャとどれみ - まっつねのアニメとか作画とか

    まあ、ナージャ・アップルフィールドことニチさんが 当にスガタねらいかというのはまだ確定ではないが (タイガーをけしかけた理由的に考えて、個人的には9割方確定だけど) それを軸に見てるところが俺にはある。 なので今回の演出的見所は プロフェッサーミドリが 「ではもう死んでいるのと同じか、あるいはすでに息をしていないか」 って言った後の呼応する2カット ニチさんは顔を上げ、 どれみさんは顔を下げる (それにしてもミドリ先生、美少年を手に入れてか、余裕があるな) さらにそれに呼応するのが、ゼロ時間突入後 ミセスワタナベの「まだ息があるということね」 の後のこのカット ここでもニチさんは右に どれみさんは左に動いていることに注目 あるいは、この話数における「どれみの優位」を 立ち位置で表現していると言っていいかもしれない。 そしてラストの ヘブン状態 つか、この髪を下ろしたどれみさん、どれみさん

    スタドラ7話・ナージャとどれみ - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2010/11/15
    ブコメが少数ながら派手で面白いなぁ。ありがたいことです。
  • ストライクウィッチーズ2とGONZO的オサレ感 - まっつねのアニメとか作画とか

    スト魔女一期って今にして思うと、相当オサレ分があるんだよね。 「俺たちカッコよく戦争描いちゃうぜ!」的な。 で、普通のGONZOと違うのは、 ・普通のゴンゾ ビジュアル⇒オサレ 内容⇒オサレ だったところを ・スト魔女 ビジュアル⇒パンツじゃないから! 内容⇒オサレ こうしたわけ。 スピードグラファーとかレッドガーデンとかみたいに 何から何までオサレだとあんだけ面白くても売れないわけ。 ラストエグザイルもそう。 ゴンゾはそれを気付くのに10年掛かったわけだけど、遅すぎた。 デイビッドは気付かずに「戦う司書」みたいの作っちゃうけど。 んでだ。 スト魔女はそこが良かったわけよ。 ところが、スト魔女2は内容からも「オサレ」が消えつつある気がしてならない。 それがAICのやり方だ! と言えばそれまでなんだけどさ。 そういう意味でも、やっぱりスト魔女2は3話が一番良いのよ。 マジで。 「あの橋を孫が

    ストライクウィッチーズ2とGONZO的オサレ感 - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2010/08/06
    「オサレアニメをギャグアニメとして見れる俺は通」みたいなオサレな思考は割と昔からある。
  • 富野の人が『あそびにいくヨ!』に注目する理由 - まっつねのアニメとか作画とか

    富野の人ことグダさんが妙に「あそびにいくヨ」にご執心 (http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/) 1話は見たときはピンとこなかったんだけど、 2話見てちょっとわかった。 これって、もう完全に「90年代〜カオス期(2002くらいまで)」のアニメなんだよね。 この時代のアニメっていうのは、 「富野・宮崎・出崎世代への反発とノスタルジー」で出来てたわけ。 『あそびにいくヨ』についてグダさんはイデオンを挙げているけど、 イデオンの影響は大きい。 「イデオンは面白いけど、女の子キャラが可愛くないなぁ」 って考える80年代のオタクがいて、 彼らの欲望満たしたような作品が、エヴァを筆頭にいくつも作られた。 00年代のガンダムSEED以降は、 ある種「富野・宮崎・出崎世代」をガジェット化することに成功するんだけど。 思想とアニメの技術がはっきりと分離するというかね。 「○○デレ

    富野の人が『あそびにいくヨ!』に注目する理由 - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2010/07/18
    >>strさん植田さんも含めた「AICASTA」の志向ってところでしょうね。
  • 入門作画オタク〜読解編〜その2 - まっつねのアニメとか作画とか

    さて、それでは文を見ていこう。 ・・・っとその前に、どの記事から読んでいくかも、案外重要だ。 どこから読み始めるか、となった時に2001年の時点であれば、 もちろん、『なかむらたかし』から読み始めるべきだった。 今から読むにしても、もしあなたが80年代からアニメを見ているような人間ならば 『なかむらたかし』から読み始めてもいいだろう。 しかしそうでない場合、00年代以降からアニメを見出した人の場合は 『井上俊之』から読むことをオススメする。 理由は 1、井上俊之は00年代の作品でもよく見かけるから 2、彼自身が作画オタクであるため、作画オタクとして押さえておきたい作品の言及が多いから 3、他の記事のアニメーターについての言及が多いから ざっとこのあたりだ。 例えば、『なかむらたかし』の記事に出てくる『石之さん』にピピーンと来る作画オタクはほとんどいないだろうが 『井上俊之』の記事に出てく

    入門作画オタク〜読解編〜その2 - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2010/06/22
    >>sasahiraさん 『絵』で描く上では、三次元的な形状を二次元に置き換える必要があるわけで、その時の処理の結果が『フォルム』だと思っています。シルエット化された三次元的形状がフォルムではないかと
  • このブログはK様公認の人気ブログ - まっつねのアニメとか作画とか

    >アニメ感想・評論系ブログの執筆者の方々で、大袈裟にキャプチャー画像を使い、 >「上手=心理的に上、下手=心理的に下、俯瞰=抑圧、仰角=威圧」 >みたいなことをやって喜んている人は、滅んでも構わないんじゃないかな。 >というのも、そんな原始時代の単純な論理で現代アニメのカットは割れないからです >あるアニメ作品のあるカットのキャプチャー画像を貼って、 >「これは〜という技法です・歴史的には〜などが使用しています、 >もしかしたら〜の象徴かもしれません、いやあそれにしても××さんは凄いですね」 >というフォーマットにのっとってブログを書けば、誰でも人気アニメブロガーになれます。 ――   無名の天才演出家 K つまり、このブログは人気アニメブログになってるはずだ! あの天才演出家でネットアニメ評論の中心にいるK様が言ってるんだから 間違いない。 いや、違うな。 K様の言ってることは無条件に素

    このブログはK様公認の人気ブログ - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/12/14
    働いてて見れなかったので俺にも教えてほしいな
  • 持てる者と持たざる者の書きなぐり - まっつねのアニメとか作画とか

    666さんのhttp://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20091201 にインスパイアーされたんだが、 考えがまったくもっとまとまらないので適当に書く。 ・じゃあ「岡ひろみ」は持てる者なのか持たざる者なのか これが分からない。 エースをねらえは最初 岡ひろみ(持たざる者) ⇔ お蝶夫人(持てる者) という感じで出てくるんだけど、 ひろみは挫折しつつもお蝶夫人を超えていく。 類似したというか、一種のパロディ・オマージュであるのが 「トップをねらえ」と「カレイドスター」 それぞれ ノリコ ⇔ カズミ ソラ  ⇔ レイラ という対比になる。 展開も大体そのまんま。 結果的には「持てる者」達を超えていくんだけど、 彼女達はみんな最初は「持たざる者」だった。 「努力」とか「挫折」とかそういったもので話を作っていく 「持たざる者」で始まる一つの典型。 余談ですが、この典型では「

    持てる者と持たざる者の書きなぐり - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/12/03
    最終的にカイザーフェニックスをいなすまでになるポップが持たざる者なんてありえない。ダイも言ってるじゃん「昔から天才だよ」って。最終的なポップは世界征服できるレベル
  • エルガイムってウテナ的だよね。 - まっつねのアニメとか作画とか

    アニメ様がアニスタでエルガイムのことを書いていた。 エルガイムって結構好きなんだけどね。 富野作品の中でも上位に来るくらい。 キャラがね、キンゲに近いというかね。 女の怖さの話だよね。 富野作品でも女の怖さをメインでやってるのはキンゲとエルガイムくらい。 他の作品でも女の怖さは含まれてるけど、 やっぱりメインは男になっちゃうから。 例えばダンバインだとやっぱりショウとトッドとバーンとドレイク・ルフト リムルとかルーザとかの怖さが、どうしてもサブになってしまうくらい ドレイク・ルフトのドラマ性が強い。 ハイパージェリルとかも筋ではなかったし。 その点、エルガイムの男役は名バイプレイヤーが揃ってたな。 ダバとキャオといい、ギャブレーといい、 アマンダラとギワザのダメ男っぷりといいねw 富野作品で俺が惹かれる部分が、一番詰まっていた様に思われる。 エルガイム、面白いと思うんだけどなぁ ウテナが

    エルガイムってウテナ的だよね。 - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/09/04
    >>angmarさん ラスボスをオリビーと見るかポセイダルと見るか。はたまたアム・レッシィ見るかってところですね。ネイもいいよねぇ。
  • 究極の非モテは無我の境地だってお(バンバン - まっつねのアニメとか作画とか

    非モテ」という「非リア充」に似てるよく分からん言葉が流行ってるようだ。 まあモテない人のことなんだろうなぁ、ってのはわかるんだが、 また「非モテ」の定義域がわからん。 まあざっくりとモテナイ人という事にしよう。 さて、某スレから巡回してたらこんなエントリーを見つけた。 物語とは非モテの不在なり http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090831/1251649426 非モテとは物語の不在なり http://d.hatena.ne.jp/rAdio/20050325/1111683579 まず後者の「非モテとは物語の不在なり」というのは非常に分かりやすい話。 「好きの反対は無関心」とかそういう話。 プラスの方向にもマイナスの方向にも何もないのが「究極の非モテ」だそうだ。 でも個人・経験的な感覚だとプラス・マイナスが0に近い人間て案外モテるんだよね。 なぜかを考える

    究極の非モテは無我の境地だってお(バンバン - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/09/04
    そういえば石ころ帽子って道具がありましたね。非モテとは石ころ帽子
  • サマーウォーズと劇クラナド - まっつねのアニメとか作画とか

    666さんのサマーウォーズの記事(http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090901/1251815366) は完成されているので、わざわざ言うこともないのだけれど、 コメント欄が相変わらず面白い。 666さんのエントリーはまったくもってサマウォを否定してないんだが、 一部のファンにとっては、否定に映るらしいというのが 非常に興味深い。 さて、そんなことは置いておいて、 個人的にはサマーウォーズは「家族」がメインの話だったと思うわけです。 まあ掘り下げは浅いんだけれども。 で、「家族」をテーマにしたアニメ映画というものを考えると、 やはり俺は、劇場版クラナドがまず思い浮かぶ。 ・大家族 ・強引なヒロイン(年上) ・亡くなる家族の大黒柱 ・才能はあるがどこか屈折した主人公 ただ、一つだけ大きな違いがある。 サマウォが正真正銘の血縁ある大家族を扱ったのに対して、

    サマーウォーズと劇クラナド - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/09/03
    >angmarさん 私戦で世界の命運が決まってしまうあたりが、セカイ系ぽさですね。
  • 「アニメ」自体規制されたらどうするの? - まっつねのアニメとか作画とか

    ちょっと聞いてくれよ、表現規制とは関係ないんだけどさ。 細田守インタビューを見つけたんだよ (http://wedge.ismedia.jp/articles/-/418?page=1) そしたらこんな事が書いてあった >東映動画で育った僕にとって、師匠は幾原邦彦(44、「美少女戦士セーラームーン」)さんでした。 >幾原さんの師匠は山内重保(56、「聖闘士星矢」)さん。 >山内さんの師匠は勝間田具治(ともはる、71、「狼少年ケン」「サイボーグ009」)さん。 >そして勝間田さんの師匠が、マキノ雅弘さんでしょう。 何を言ってるの、細田さん? 東映で育ったって、 幾原さんの弟子になってのはウテナだから東映関係ないじゃん。 セラムンにもほとんど絡んでなくて、 セラムンスタッフが羨ましかったって言ってたじゃん。 そしてもっと問題なのが >幾原さんの師匠は山内重保さん ええ、どういう事? 幾原はほと

    「アニメ」自体規制されたらどうするの? - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/06/29
    >ragさん あえて言わせてもらえば、アニメの範囲は無限です。/程度の問題ではないのです。無限か有限か、その認識の違いです。無限を全て明文化することは不可能。
  • Candy boy 7話 星川レイアウト最高 - まっつねのアニメとか作画とか

    ヤンデレでも話題になった星川孝文の新作がついに完結。 「ウテナ」「大運動会」「聖ルミナス女学院」の星川孝文が 百合アニメの殿堂・AICでその領を発揮しきったシリーズだった。 なんと言っても圧巻のレイアウト! 前に某スレにあげたけど、 視線誘導が完璧。 7話目もなかなか良い これだけモブが居ても 誰を見ればいいかは レイアウトが教えてくれる 補助線引くとこんな感じ あとはこれとか 階段の影の付き方と、電線みたいなのが区切りになっている これも分かりやすい 机の真ん中のスペースにスポッとはまってるw 手前のベッドの柵もちょうど切れ目。 右側の机はちゃんと絵が見えるようになっているのも意識的だね あとは星川の伝家の宝刀・ナメモノ この柱! この柱がエロイ! 柱が真ん中よりちょっと右側にあるのもポイント キスをするために左に動いたから見える、というこのバランス! アオリのアングルも、屋根が相合傘

    Candy boy 7話 星川レイアウト最高 - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/05/11
    ←方向が順、という考え方は基本としてあるようです。登校するのは←で、下校は→、みたいな感じ。
  • 天原さんの返答について - まっつねのアニメとか作画とか

    http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090507/1241642576#c でわざわざ返答をもらいました。 なんというか、彼の言ってる事は何一つ間違ってないし、 俺の意見とほぼ一致してるというのが面白い。 そのことについてはあちらのコメント欄で質問させてもらいました。 ただ、彼の行動は結局は二次障害を生むだけなんじゃないかな。 彼はきっと書籍等で得た自分の知識に絶対の自信があるし、 診断書を見ないと納得しないのだろう、と思う。 現実に会った患者に 「君が当にアスペルガーが大いに疑問だ」 と言い出さないか心配である。 レッテル貼りといわれるかもしれないが、 少なくとも、彼はネットで会った人間にはそう言い放ったのだ。 あるいは診断書を見ても、それが >きちんとした精神科医 によるものかを確認しようとするかもしれない。 それは「狂気への憧れ」などよりも、 現実問題と

    天原さんの返答について - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/05/07
    「おにいさまへ・・・」と「ウテナ」なくしてスクイズなし。現代ヤンデレの直系の祖は出崎統。
  • ヤンデレ - まっつねのアニメとか作画とか

    なんかグダさんが http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090505/1241495829 に武力介入とか言ってるので、ちょっと見てみた。 俺の中の至高のヤンデレは、 「おにいさまへ…」の信夫マリ子なわけですが。 やっぱり出崎統は最高だね! 多分、天原誠さんやヤンデレブームで「ヤンデレ的なもの」を知った人間には ヤンデレの原点というものに触れる機会がないのでしょう。 ヤンデレの陣は歴史的に見ても、むしろ少女漫画にあるわけで、 元々は女性の「共感」から生まれたものと考える方が自然でしょう。 では女性は何に共感していたのか? それは「自分の気持ちが伝わらない」事への共感。 男性だったら、そこで自閉症的解決(=deathnoさん言うところの「寛容」、あるいは脳内恋愛) を取れるが、 大半の女性はそれを爆発されるか伝える対象を変える(他の男に乗り換える)かするわけである

    ヤンデレ - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/05/06
    グダさんにはソラちゃんがついてるから、きっと大丈夫だよw
  • なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - まっつねのアニメとか作画とか

    前回のブクマレスを兼ねて、 ブコメの情報を取り入れてみた。 Q、なぜ、感想と批評の境界があやふやなのか A、 第一に、話題にすべき要素が多く、ただの感想に見えにくい(前回から流用) 第二に、批評のハードルが低い →なぜ批評のハードルが低いのか? ?一見、批評のためのヒントが多い(=簡単そう) ?先人が少ない(=難解な批評用語が少ない) ?原作との比較でお手軽批評(原作モノ限定) 第三に、感想に自分語りが混じって、批評っぽく見える(実際にはただの感想) ・批評と感想 批評と感想の違いは客観的か主観的かの差だと思います。 客観自体が存在するか、とかの哲学的な問いはスルーします。 つまり、批評というのは、 あるかないかも分からない、その作品の「客観的な評価=正解」 を探る作業だと思うわけです。 まあ宝探しみたいなものですね。 zsphereさんの言うように、そんな宝はないのかもしれない。 「漱石

    なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/05/05
    >グダさん グダさんが富野の専門家だという認識は変わってませんしw
  • GENJI再見〜萌えという現象は〜 - まっつねのアニメとか作画とか

    GENJIの既放送話数を全話見直す 一気に観直すとまた印象が違うね 特に2話の印象が違う 元々、六条と葵は対比させる形になってたんだな リアルタイムで観てた時は 「ハーレムアニメのヒロイン紹介」のようなものかと思っていたが 見直すと、はっきりとこの「二人」にスポットライトが当たっていたことが分かる 3話で夕顔についての嫉妬を二人で順にしてるしw そこに藤壺と紫が殴りこんでくるのが4話 確かに紫の位置づけって凄く難しいね ただ、その難しい中でその位置づけが 「萌え」キャラなのも確かなところ。 この物語においてセクシャルでないのは4話までの葵と 紫だけである。 これだけセクシャルな関係が満ちている中で、 プラトニックな関係を保っている。 でもそれが崩れかけている。 その状態を「萌え」というのではないだろうか。 つまり プラトニック→セクシャルという関係の変化の この「→」にあたる部分が「萌え」

    GENJI再見〜萌えという現象は〜 - まっつねのアニメとか作画とか
    mattune
    mattune 2009/03/15
    >>グダさん それはグダ理論すぎるwww
  • 1