mattuneのブックマーク (49)

  • 律はけいおん!の中で母親的役割を担っているという話 - WebLab.ota

    けいおん!という物語の中で律というキャラクターは,物語を始動させる「鍵」のような役割や,ほかのキャラクター(特に澪)を成長にさりげなく導き,そしてそれをやさしく見守る母親的役割を担っているという話. 第1話:部の立ち上げと澪・紬・唯の入部 すでに第1話で律は,この役割をこなしている. まず,軽音部結成を強引に立ち上げ,澪と紬をAパートだけで入部させている. 図は,澪に対して「ずっと,一緒にバンド組もうねって…約束してたじゃない!」と訴えているシーンだけど,ここで一瞬紬のほうを見ている. 律はこのとき明らかに,澪だけに軽音部に入ってほしいと訴えているわけでなく,紬に対してもアピールしている. いや,むしろ,合唱部に入部を希望している紬に,軽音部に興味を持ってもらおうとして,この小芝居をしている. そして,この目論見は功を奏して,澪・紬ともに軽音部に引き込むことに成功している. もちろん,唯を

    律はけいおん!の中で母親的役割を担っているという話 - WebLab.ota
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    mattune 2009/06/06
    ついに澪信者VS律信者の最後の戦い(ムント的な意味で)が始まったと聞いて
  • 結局『けいおん!』では誰が最強の萌えキャラなのか――『けいおん!』と『CLANNAD』と『らき☆すた』をめぐって - 反=アニメ批評

    エッセー, 反=アニメ批評, 2009年春期アニメ世間では、噂どおり「笹の葉ラプソディ」の放送をもって開始された「涼宮ハルヒシリーズ第二期」の話題で持ちきりの中、今回はあえて同じく京都アニメーション制作のアニメ『けいおん!』の、それも、最新第8話における新キャラ・あずにゃんこと中野梓の登場に沸く中で、あえてここで、これまでの主要4キャラをおさらいしてみたい。 というのも、前々回の記事において、ぼくは以下のように述べましたが、■『けいおん!』第6話における澪のパンツ表現に関する所感――「パンツ表現論4」への助走として ※それにしても、いつも盛り上がるのは澪派ばかりで、ぼくの唯派や、あるいは眉毛派の論客の姿が見当たらないようなのですが、いったいどうなっているのでしょうか。※というか、『らき☆すた』でいえば、かがみ派は澪に、みwiki派は眉毛に、そしてぼくらつかさ派は唯に向かっているのでしょうが

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    mattune 2009/05/23
    沢庵眉毛って眉毛沢庵にすると「まゆげさわ いおり」だね。プリキュア
  • Candy boy 7話 星川レイアウト最高 - まっつねのアニメとか作画とか

    ヤンデレでも話題になった星川孝文の新作がついに完結。 「ウテナ」「大運動会」「聖ルミナス女学院」の星川孝文が 百合アニメの殿堂・AICでその領を発揮しきったシリーズだった。 なんと言っても圧巻のレイアウト! 前に某スレにあげたけど、 視線誘導が完璧。 7話目もなかなか良い これだけモブが居ても 誰を見ればいいかは レイアウトが教えてくれる 補助線引くとこんな感じ あとはこれとか 階段の影の付き方と、電線みたいなのが区切りになっている これも分かりやすい 机の真ん中のスペースにスポッとはまってるw 手前のベッドの柵もちょうど切れ目。 右側の机はちゃんと絵が見えるようになっているのも意識的だね あとは星川の伝家の宝刀・ナメモノ この柱! この柱がエロイ! 柱が真ん中よりちょっと右側にあるのもポイント キスをするために左に動いたから見える、というこのバランス! アオリのアングルも、屋根が相合傘

    Candy boy 7話 星川レイアウト最高 - まっつねのアニメとか作画とか
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    mattune 2009/05/11
    ←方向が順、という考え方は基本としてあるようです。登校するのは←で、下校は→、みたいな感じ。
  • 天原さんの返答について - まっつねのアニメとか作画とか

    http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090507/1241642576#c でわざわざ返答をもらいました。 なんというか、彼の言ってる事は何一つ間違ってないし、 俺の意見とほぼ一致してるというのが面白い。 そのことについてはあちらのコメント欄で質問させてもらいました。 ただ、彼の行動は結局は二次障害を生むだけなんじゃないかな。 彼はきっと書籍等で得た自分の知識に絶対の自信があるし、 診断書を見ないと納得しないのだろう、と思う。 現実に会った患者に 「君が当にアスペルガーが大いに疑問だ」 と言い出さないか心配である。 レッテル貼りといわれるかもしれないが、 少なくとも、彼はネットで会った人間にはそう言い放ったのだ。 あるいは診断書を見ても、それが >きちんとした精神科医 によるものかを確認しようとするかもしれない。 それは「狂気への憧れ」などよりも、 現実問題と

    天原さんの返答について - まっつねのアニメとか作画とか
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    mattune 2009/05/07
    「おにいさまへ・・・」と「ウテナ」なくしてスクイズなし。現代ヤンデレの直系の祖は出崎統。
  • なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - umeten's blog

    アニメだからという理由で、「客観自体が存在するか、とかの哲学的な問いはスルーします。」というのが許されるから。 もうそれは「ハードルが低い」のではなくて、「ハードルをなぎ倒している」ことになると思う。 でも、アニメだからという理由でまたそれが「萌え要素」*1にカウントされてさらにぐだぐだに。 こなた理論に基づいて曰く、「つかさはかわいい馬鹿キャラだけど、ドジっ子が実際に身近にいると実害があってウザイよね〜」*2 <自> なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - mattuneのアニメとか作画とか http://d.hatena.ne.jp/mattune/20090505/1241459422 *1:アニメファン≒アニメに言及する者のたしなみ *2:単なる「アニメ萌え」=感想も面白いけど、ロクな分析的パースペクティブの持ち合わせもないものまで批評に含まれるとなるとどうしようもない

    なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - umeten's blog
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    mattune 2009/05/07
    なるほど、客観と主観の哲学問題を問わないのがアニメに言及する者の嗜みでしたか。なるほど、あるかもしれない。
  • なぜ、アニオタは感想と批評の区別すら付かないのかwww - 消毒しましょ!

    「なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか」って、テメーのオツムが「あやふや」だから「感想と批評」の区別もつかないだけのこっちゃねーかwww こんな問題提起をしていること自体が既に解答となっているわけで、「話題にすべき要素が多」いからと言って「ただの感想」が「ただの感想に見えにくい」だの、もともと子供向け番組から発展したのだから視聴の「ハードルが低い」だけのことを「批評のハードルが低い」と勘違いしてみたり、「自分語りが混じ」ると「感想」が「批評っぽく見え」てしまうなどと言って自分がバカであることを天下に公言している様には大笑いするほかないwww で、結論はどんなものかと読み進めていけば案の定、「批評と感想の違いは客観的か主観的かの差だと思います」なんて実に下らない「感想」文であったのは、むべなるかなw 批評だって「主観」だバカwww つまり、批評というのは、 あるかないかも分からない

    なぜ、アニオタは感想と批評の区別すら付かないのかwww - 消毒しましょ!
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    mattune 2009/05/07
    分かりやすい!このくらい遠慮なく書いた方が間違いなく面白いなぁ
  • ヤンデレ - まっつねのアニメとか作画とか

    なんかグダさんが http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090505/1241495829 に武力介入とか言ってるので、ちょっと見てみた。 俺の中の至高のヤンデレは、 「おにいさまへ…」の信夫マリ子なわけですが。 やっぱり出崎統は最高だね! 多分、天原誠さんやヤンデレブームで「ヤンデレ的なもの」を知った人間には ヤンデレの原点というものに触れる機会がないのでしょう。 ヤンデレの陣は歴史的に見ても、むしろ少女漫画にあるわけで、 元々は女性の「共感」から生まれたものと考える方が自然でしょう。 では女性は何に共感していたのか? それは「自分の気持ちが伝わらない」事への共感。 男性だったら、そこで自閉症的解決(=deathnoさん言うところの「寛容」、あるいは脳内恋愛) を取れるが、 大半の女性はそれを爆発されるか伝える対象を変える(他の男に乗り換える)かするわけである

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    mattune 2009/05/06
    グダさんにはソラちゃんがついてるから、きっと大丈夫だよw
  • なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - まっつねのアニメとか作画とか

    前回のブクマレスを兼ねて、 ブコメの情報を取り入れてみた。 Q、なぜ、感想と批評の境界があやふやなのか A、 第一に、話題にすべき要素が多く、ただの感想に見えにくい(前回から流用) 第二に、批評のハードルが低い →なぜ批評のハードルが低いのか? ?一見、批評のためのヒントが多い(=簡単そう) ?先人が少ない(=難解な批評用語が少ない) ?原作との比較でお手軽批評(原作モノ限定) 第三に、感想に自分語りが混じって、批評っぽく見える(実際にはただの感想) ・批評と感想 批評と感想の違いは客観的か主観的かの差だと思います。 客観自体が存在するか、とかの哲学的な問いはスルーします。 つまり、批評というのは、 あるかないかも分からない、その作品の「客観的な評価=正解」 を探る作業だと思うわけです。 まあ宝探しみたいなものですね。 zsphereさんの言うように、そんな宝はないのかもしれない。 「漱石

    なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - まっつねのアニメとか作画とか
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    mattune 2009/05/05
    >グダさん グダさんが富野の専門家だという認識は変わってませんしw
  • GENJI再見〜萌えという現象は〜 - まっつねのアニメとか作画とか

    GENJIの既放送話数を全話見直す 一気に観直すとまた印象が違うね 特に2話の印象が違う 元々、六条と葵は対比させる形になってたんだな リアルタイムで観てた時は 「ハーレムアニメのヒロイン紹介」のようなものかと思っていたが 見直すと、はっきりとこの「二人」にスポットライトが当たっていたことが分かる 3話で夕顔についての嫉妬を二人で順にしてるしw そこに藤壺と紫が殴りこんでくるのが4話 確かに紫の位置づけって凄く難しいね ただ、その難しい中でその位置づけが 「萌え」キャラなのも確かなところ。 この物語においてセクシャルでないのは4話までの葵と 紫だけである。 これだけセクシャルな関係が満ちている中で、 プラトニックな関係を保っている。 でもそれが崩れかけている。 その状態を「萌え」というのではないだろうか。 つまり プラトニック→セクシャルという関係の変化の この「→」にあたる部分が「萌え」

    GENJI再見〜萌えという現象は〜 - まっつねのアニメとか作画とか
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    mattune 2009/03/15
    >>グダさん それはグダ理論すぎるwww