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為替を操作して貿易で勝とうとしても勝てません。品質が上がらなければ早晩飽きられるからです。 日本製が世界を席巻していく過程でどんどん通貨高になって来ましたが、それでも売れまくりでした。
福祉国家の研究だと、日本は企業や家庭に依存する形で福祉国家の建設が進められたために、特に正社員の枠からこぼれた人を対象とする社会保障がほとんど整備されてこなかったという指摘がよくある
せっかくなのでこれだけでも読んでいってください。 思い違い スナイダーの主張 ヒトラーは狂人である ヒトラーはかなりの戦略家であった ホロコーストは主にドイツで起きた すべてドイツ国外。主に占領下ポーランドと占領下ソ連で起きている ホロコーストはドイツのユダヤ人に関わる問題だ 犠牲者の97パーセントはドイツ国外出身のユダヤ人(ほんとに?) ホロコーストは強制収容所で起きた 現実には死の穴の縁で殺害されたのがほぼ半数。それから実際に収容所の中にあったわけでない特別なガス殺の設備で殺害されている 加害者はすべてナチスだった 殺害に携わったドイツ人の多くはナチスではなかったし、そもそも殺害した者のほぼ半分はドイツ人でさえなかった。 ホロコーストは政治の領域を超えている 実際には、国家崩壊の地域で生じた特別な形態の政治を考えなければ、ホロコーストは理解しがたい ホロコーストは理解不可能なものだ ホ
行政改革なんてのも自民党に逆らった罰として大蔵省を解体するというのがあったわけでしてね。
ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2018年6月号より転載。 二〇一八年のユネスコ世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録される見込みとなった。それ以前に日本政府は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として登録を目指していたが、一六年、イコモス(国際記念物遺跡会議)に「禁教の歴史の特殊性に焦点を当てるべきだ」と指摘され、推薦書を取り下げた経緯がある。今回は禁教期と無関係な二資産を除外し、「潜伏キリシタン」に特化させることで登録に漕ぎ着けた恰好だ。 「潜伏」といえば美しいけど、要は宗教弾圧、「負の歴史」ですからね。イコモスに指摘されるまで、そのへんをゴマ化して登録を目指したのが、い
[Tyler Cowen, “Steven Pinker on slavery and the Enlightenment,” Marginal Revolution, January 26, 2019] ピンカーがいろんな批判に Quillette で反論している.そのなかから,彼の反論をひとつ引こう: 征服の戦利品として,奴隷はいつでもなによりのぞましい対象だった.〔ユダヤ教の〕過越の祭にいったことのある人や,映画『スパルタカス』を見たことのある人なら知ってのとおり,奴隷は 18世紀の欧米で発明されたわけではない.奴隷廃止がどんな順序で起きたかを踏まえると,奴隷が存在したのは《啓蒙》のせいだと責めるのはとりわけばかばかしい.(…) 歴史家 Katie Kelaidis が『啓蒙の冷笑的批判者たち』(The Enlightenment’s Cynical Critics) で述べているよ
デイヴィッド・W・グリフィス社、エポック・プロデューシング社製作 エポック・プロデューシング社配給 製作・監督・脚本・編集D・W・グリフィス 原作トマス・ディクソン 撮影D・W・ビッツァー 出演リリアン・ギッシュ、メイ・マーシュ、ヘンリー・B・ウォーソール、 D・W・グリフィス監督による「国民の創生」は、あらゆる意味で映画史に名を残すに足る作品である。その理由はあまりにありすぎて、ここにすべてを書くことがためらわれるくらいだ。 まず、「国民の創生」が超大作であるという点だ。当時、映画のほとんどはまだ短編が中心だった。イタリアでは1914年に「カビリア」(この作品はビデオで見ることができる)といった作品がすでに長篇として世に出ていた。しかし、ことハリウッドにおいては、まだまだ短編が中心だった。1915年といえば、私たちが簡単に見ることができる数少ない1910年代のアメリカ映画であるセシル・B
ドンガメ六号 @dongame6 戦争体験者だと特攻何か爆弾積んでブーンといってワッと爆発して死ぬんだから景気が良くてみんなに褒められてうらやましいぐらいの意見が出てくるからな。戦争は本当にクソ 2018-08-13 22:36:39 ドンガメ六号 @dongame6 うちの爺さんの好きな戦争体験は、集落の同級生で出征した十数人の中で生きて帰ったのが太平洋が始まる前に中国で肺炎患って帰ってきた爺さんと、大陸で終戦まで戦って生き残ったマジ猛者の二人だけで、集落の寄り合いだと大体そのマジ猛者と会うのでめっちゃ肩身が狭かったって話だな。 2018-08-13 23:26:56 バイオ会社員(´◓◞◒)< @yakanifu 所謂『平和学習』、ウチの地元だと俺が小学生の頃にはもう 「疎開先で同居してた従兄弟姉妹のお姉ちゃんがめっちゃエロかった。ずっと疎開してたかった」 「部屋着で飛び込んだ防空壕。
民衆はいつも被害者だったのか? 民衆が戦乱をいかに生き延びたのかを多方面から論じた『戦乱と民衆』(磯田道史+倉本一宏+F・クレインス+呉座勇一著、講談社現代新書、8月21日発売予定)の発売に先立ち、『応仁の乱』『陰謀の日本中世史』などヒット作を連発する歴史学者・呉座勇一氏の特別エッセイを公開する。 階級闘争史観と一揆 拙著『応仁の乱』(中公新書)の予想外のヒットにより、私は何やら応仁の乱の専門家のように見られている。しかし私の本来の専門は一揆で、博士論文でも中世の一揆をテーマに据えた。 一揆を研究対象に選んだ理由はいろいろあるが、一つには一揆が戦後歴史学の花形テーマだったからである。戦後歴史学の意義と限界を見定めるためには、一揆の検討は欠かせない。 では、なぜ一揆研究は戦後歴史学の王道だったのか。それは、戦後歴史学が「階級闘争史観」に立脚していたためである。 階級闘争は共産主義の基本的な概
1931年の満州事変により、日本は本格的な中国侵略を開始した。 この戦いが、1937年に日中戦争へと拡大し、中国での利権が日本に独占されてしまう事を恐れたアメリカ・イギリスは、中国への軍事支援を開始する。 1940年、米英の中国への補給路『援蒋ルート』を絶つ為に、日本軍は当時フランスの植民地だったインドシナ(ベトナム・カンボジア・ラオス地域)の北部へと進駐(進攻)した。 アメリカは日本への対抗策(制裁)として、日本の工業に必要不可欠な『鉄』などの資源の輸出を禁止した。 1941年、アメリカ・イギリス・中国・オランダによる、日本包囲網『ABCD包囲陣』に対抗するため、日本軍はインドシナ南部へも進駐し、フィリピンのアメリカ軍、マレー半島のイギリス軍、インドネシアのオランダ軍に睨みを利かせようと試みた。 しかし、日本のこの強硬策は裏目に出た。 激怒したアメリカは、日本がその殆どを輸入に依存してい
トランプ米政権が国内産業を保護するため、鉄鋼の輸入品に関税を課した。貿易相手国が「自由貿易に反する」として厳しく批判しており、関税はすっかり悪役として名をはせた。 だが、その関税によって生まれた街がある。中西部イリノイ州のグラニットシティーだ。「鉄鋼の街」として知られ、大手メーカーが同所に持つ工場では、政権の関税の恩恵を受けて雇用を増やした。街が活気づいた様子は紙面で報じた。 街の由来はこうだ。 19世紀にドイツ移民のニードリングハウス兄弟が、すず食器製造会社を同所に置いた。兄弟は商品や製造法を改良して商売を広げる一方で、政界に進出。すず食器への関税賦課に力を注ぎ、やがて政府による関税引き上げにつなげた。その甲斐あって事業は大成功。街が拡大して1896年、行政区としてグラニットシティーが誕生したという。 人口3万人弱の街を訪れると、小さな街役場のホールに、兄弟の偉業をたたえるレリーフがあっ
もう最終上映日前日だし,多少のネタばらしはいいだろう。 エンゲルスの父の経営する大規模紡績工場で指切断,という話が冒頭に出てくるが,最後は大規模印刷機で『共産党宣言』が印刷されるシーンが出てくる。あれは皮肉でも何でもなくて,そういうものなのだと思う。貧しさを競っては勝てない。
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