タグ

ブックマーク / blog.livedoor.jp/hattoridou (5)

  • 極私的大友克洋ノート⑤ : なにも思いつかないの記

    AKIRA(1) (KCデラックス 11) 前回は『童夢』について長々と綴ってしまったが、大友克洋の代表作は何かといえば、まずもって『AKIRA』が挙がるだろう。個人的には大友のベストに『童夢』を挙げたいが、それは少々うがった見方である感じが否めない。やはり大友といえば第一に『AKIRA』である。私はけっこう世論の声にしたがうタイプなのだ。 というか、私だって大友といえば『AKIRA』だろうとやっぱり思っている。『童夢』がいかに傑作であろうとも、『AKIRA』ぬきの大友はありえない。『AKIRA』を描いていなかったらカルトなマンガ家で終わっていただろう。逆に、『童夢』を描かずとも『AKIRA』さえ描いていれば、大友の名前は現在と同じく天下にとどろいているはずだ。ただしその場合、私はここでこんな長文を綴ることはなかっただろうと思う。そういう意味では大友が悪い。『童夢』なんか描かなきゃよかった

    極私的大友克洋ノート⑤ : なにも思いつかないの記
    maturi
    maturi 2019/09/18
    たとえばながやす巧の作画でまんがを原作したのはどのように受け止められたのだろうか
  • 極私的大友克洋ノート④ : なにも思いつかないの記

    ②の最後に少し触れたが、『童夢』の準拠枠のひとつは『幻魔大戦』(平井和正原作/石ノ森章太郎作画)である。関連する大友の発言を引く。『童夢』に直接つながる短編『Fire-Ball』執筆直後のものである。 「まず、ミュータント・サブなんかをみてて、なんでこう、さわんないものを動かせるのか。だからそのまんま、あれするんじゃつまんないし、たとえば、ああいうことやりだすと、『幻魔大戦』なんかの、テレパシーできる奴がいて、物うごかすやつがいて、移動するやつがいるっていう、そういうことしちゃうとあの『巨人の星』の巻絵物みたくなっちゃうから、もう、シンプルに、ただ熱くなる、だけという話を」(『ぱふ』1979.7, p.25) 「そうですね、ちょっと、近頃のオレの傾向としては、動かしたいなということを思ってますけどね」(同, p.27) 幻魔大戦 第1巻 (サンデー・コミックス) 話し言葉をそのまま字にして

    極私的大友克洋ノート④ : なにも思いつかないの記
    maturi
    maturi 2019/09/18
    ”『ロック』のリアリティは予知能力の否定によって担保されているが、それでも無節操な「巻絵物」に堕するリスクはつきまとう(ギリギリで踏みとどまっている聖悠紀はほんとうに偉い)。”
  • 極私的大友克洋ノート② : なにも思いつかないの記

    ハイウェイスター (アクション・コミックス―大友克洋傑作集) 大友克洋のマンガ家時代。 「マンガ家時代」と言わざるをえないのが残念だが、そんな時代の大友の単行を羅列してみよう。 ①『ショート・ピース』奇想天外社1979 ②『ハイウェイスター』双葉社1979 ③『さよならにっぽん』双葉社1981 ④『GOOD WEATHER』奇譚社1981 ⑤『ヘンゼルとグレーテル』ソニー出版1981 ⑥『気分はもう戦争』双葉社1982(矢作俊彦原案) ⑦『BOOGIE WOOGIE WALTZ』奇譚社1982 ⑧『童夢』双葉社1983 ⑨『AKIRA』講談社1983-1993,全6巻 ⑩『彼女の想いで…』講談社1990 ⑪『SOS大東京探検隊』講談社1996 このほか復刻版や画集もあるが、それは省略。 長編は⑨の『AKIRA』のみ。⑥『気分はもう戦争』と⑧『童夢』は1巻完結もの。これはマンガとしては中編

    極私的大友克洋ノート② : なにも思いつかないの記
    maturi
    maturi 2019/09/18
     「両刃のヤイバ」はわざと書いてるのか素で間違ってるのか  魔球もの
  • 極私的大友克洋ノート① : なにも思いつかないの記

    ショート・ピース (アクション・コミックス―大友克洋傑作集) クチコミを見る ときどき憑かれたように長文を綴ってしまうことがある。誰もマジメには読まないブログという場でそんなことすんのもどーよ? とは思うのだが、個人ブログだからこそ好き勝手に書けるわけで、何をどう書いてもいいのがブログなのだから、べつにいいんじゃないかなぁとも思っている。 まあ、基的に自己満足で書いているので、べつにブログにアップする必要もないのだ。が、多少なりとも人目に触れるところに残しておきたいという気分が恥ずかしながらちょっぴりあるのと、もうひとつ、むしろこちらの理由のほうが大きいのだが、人目に触れてもいいという気分で書くと、思考がまとまりやすいのである。 たとえば、自分の中では前提になっていることが、世間でも前提になっているとはかぎらない。だから、人目を気にして書くと、自分の中での前提についても説明しようとする。

    極私的大友克洋ノート① : なにも思いつかないの記
    maturi
    maturi 2019/09/18
    また、「どさッ」のようなオノマトペをフキダシの中に入れるという手法も、大友が始めたらしい。セリフではなく音が入ったフキダシという初物表現、またその音がどこから聞こえているのか掴みにくい。
  • 極私的大友克洋ノート⑥ : なにも思いつかないの記

    AKIRA(6) (KCデラックス 339) クチコミを見る 「天才・大友」。まぎれもなく天才である。「どこがどう天才なんだ?」と問われれば、「それは凡人のオレにはわからん。しかし、大友が天才じゃないとすれば、いったい誰が天才なんだ?」と返そう。 絵描きとしての大友はもちろんとんでもなくすごい。絵心のない私が言っても説得力はないだろうが、大友があみだした技法の数々は②や③でそれなりに述べたとおりである。「大友以前・以後」という時代区分があるほど、もしかするとマンガ史上最強の絵描きだった。 そして、絵描きとしてだけではなく、マンガ家としての大友の美点は、たとえばモンゴロイド顔を導入しえた視線だと思う。小さな目、低い鼻、大きく離れた目と眉。それまでのマンガにはなかったこの造形は、大友のオリジナルな視線が具現化したものだった。 もうひとつ美点を挙げれば、状況や舞台設定のうまさである。②で書いた『

    極私的大友克洋ノート⑥ : なにも思いつかないの記
    maturi
    maturi 2019/09/18
    以前から思っていたのだが、ナウシカ以上にマンガ版と映画版が違うのにも関わらず 「どっちも好き」という(大友)ファンが多いように思えるのは不思議であ?
  • 1