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ブックマーク / at-akada.hatenablog.com (7)

  • ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます(1) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    まえおき ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます。出版社の告知ページも出たので宣伝していきます。 filmart.co.jp たまたまタイミングが合って、ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在にも書いています。 www.seidosha.co.jp このふたつの仕事が重なったため、すっかりホラーづいており、毎日何がしかのホラー映画、ホラー小説を摂取している夏です。 翻訳出版に合わせて『ホラーの哲学』の宣伝をしていきたいと思います。 紹介 まずは目次。章タイトルなどはまだ仮です。 目次(仮) 序 書が置かれた文脈 ホラージャンル摘要 ホラーの哲学とは? 第一章 ホラーの質 ホラーの定義 まえおき 感情の構造について アートホラーを定義する アートホラーの定義に対するさらなる反論と反例 幻想の生物学とホラーイメージの構造 要約と結論 第二章 形而上学とホラー あるいはフィク

    ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます(1) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Bernerd Williams, 「マクロプロス事件:不死の退屈さについての考察」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Williams, B., 1973, “The Makropulos Case: Reflections on the Tedium of Immortality”, in Problems of the Self, Cambridge: Cambridge University Press: 82–100. Problems of the Self: Philosophical Papers 1956–1972 (Philosophical Papers 1956-1972) The Metaphysics of Death (Stanford Series in Philosophy) 有名な論文。不死は退屈をもたらすがゆえに悪であるという主張を擁護する。カレル・チャペックの戯曲『マクロプロス事件』が元ネタになっている。いろいろとつっこみどころはあるが、不死の問題は自己同一性の問題な

    Bernerd Williams, 「マクロプロス事件:不死の退屈さについての考察」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    maturi
    maturi 2014/09/08
  • Peter Lamarque「フィクショナルキャラクターの作り方」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Work and Object: Explorations in the Metaphysics of Art http://oxfordindex.oup.com/view/10.1093/acprof:oso/9780199577460.003.0009 1. 問題 2. 形而上学とキャラクターの同一性 3. 関心に相対的な同一性 4. キャラクターと個別化 5. 文学的次元 フィクショナルキャラクターは「作られたタイプ[initiated type]」であるという見解を擁護している。 「作られたタイプ」はおそらくレヴィンソンの音楽作品の存在論などからとっていると思うのだが、抽象的な性質の集まりであり、その意味でタイプであるが、質的にある歴史的文脈のもとで作られたという側面を持っている。例えば、音楽楽曲の場合、楽曲は抽象的な音構造だが、ある時代にある人によって作られたものとしてのあり

    Peter Lamarque「フィクショナルキャラクターの作り方」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Bernard Williams「物語としての人生」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    死後に発表されたもの。口頭で喋ったものらしい。おもしろかったし、マッキンタイアを最大限好意的に解釈した上で批判する辺りは見事。 http://philpapers.org/rec/WILLAN-2 Williams, Bernard (2009). Life as narrative. European Journal of Philosophy 17 (2):305-314. マッキンタイアは翻訳があるようだ。 美徳なき時代 Williamsはマッキンタイアの物語としての人生というアイデアを批判的に検討している。 マッキンタイアは物語としての人生というアイデアを三つのレベルで適用している。 1. 行為の理解可能性。行為は物語的場面に置かれることによって理解可能になる。 2. 生きること。生きることは物語をつむぐことである。私は何をするべきかという問いに答えるには、まず私がその一部であるス

    Bernard Williams「物語としての人生」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    maturi
    maturi 2014/08/15
  • 応用哲学会第六回年次研究大会「図像的フィクショナルキャラクターの問題」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    応用哲学会第六回年次研究大会で発表します。せっかく長い枠にしたのに人が来てくれないとさびしいので宣伝します。会場が関西なので、関東の方は来にくいかもしれませんが、新幹線という便利なものがあるのでぜひ利用をおすすめします。 https://sites.google.com/site/jacapweb/home/annual_conf_6 題は「図像的フィクショナルキャラクターの問題」です。 図像的フィクショナルキャラクターというのは、アニメやマンガなど、絵に描かれたフィクショナルキャラクターのことです。 私は以前から哲学的なフィクション論やフィクショナルキャラクターについての議論に不満を持っていて、その一つがフィクショナルキャラクターの話をするのにビジュアルの話をしないことです。そこで自分なりに、哲学的なビジュアルキャラクター論をやってみることにしました。 もう一つの背景としては、英語圏にお

    応用哲学会第六回年次研究大会「図像的フィクショナルキャラクターの問題」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    maturi
    maturi 2014/05/11
    1.キャラクターの図像はフィクションにおけるキャラクターの正確な姿を表象していない。 2. キャラクターの姿形についてよく知らないにもかかわらず、キャラクターの美的性質について、なにがしかのことを知っている。
  • Robert Hopkins「屈折された図像の経験 その取り扱いと意義」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Philosophical Perspectives on Depiction (Mind Association Occasional) Hopkins, Robert (2010). Inflected Pictorial Experience: Its Treatment and Significance. In Catharine Abell & Katerina Bantinaki (eds.), Philosophical Perspectives on Picturing. Oxford University Press. http://philpapers.org/rec/HOPIPE ホプキンズって、いくつか読んでるけど、文章も変ではないし、論理構成もはっきりしているのに、なぜかとても読みづらく感じていたのだが、これを読んでいる内に謎がとけた。文章構成が複雑すぎるのではな

    Robert Hopkins「屈折された図像の経験 その取り扱いと意義」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    maturi 2014/05/11
    屈折
  • ベネター「なぜ生まれてこない方がよいのか」のレジメ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    先日の勉強会のレジメです。 ベネター「なぜ生まれてこない方がよいのか」 https://docs.google.com/document/d/1OlmJrP2kpYkkX82za6wGjMuPqcmpIoUlD63yLd6aHbE/edit ベネター先生によれば、すべての人は(より正確には感覚をもったものはすべて)生まれてこない方がよい。すでに生まれてきた人を殺すべきではないが、もうこれ以上新しい人を生むべきではないし、人類は産児制限による段階的絶滅にむかうべきである。 この論文では、この驚くべき見解がなぜ擁護されるのかを説明している。ちょっとこの結論には賛成しがたいが、非常に興味深い論点もいろいろと含んでいる議論である。 なおベネターは、苦痛と快楽に対する以下の非対称性が存在すること、そしてそれを認めると、「つねに生まれてこない方がよい」という結論が導かれるとしている。 (3)苦痛が生じ

    ベネター「なぜ生まれてこない方がよいのか」のレジメ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    maturi
    maturi 2012/02/02
    知ってたわー、それグノーシス教徒(二元論者)が2000年以上前から言ってたわー
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