劇中の人物の行動に不審がある。これが合理化されるのは受け手にとってたいへんなよろこびだ。しかし事情が明らかになっても、受け手がそれまでに不審を覚え続けたという事実と経験は変わらない。すでに過ぎ去ったことなので、取り返しのつきようがない。しがって、われわれがキャラクターの行動に不信を感じ続けているまさにその時間において、かかるストレスを緩和する措置が並走せねばならない。 本作における受け手の不審とは何か。ビリー・クラダップのバンドはビリー息子の書いた曲でのし上がる。ビリーは曲の出自をメンバーに明かさない。息子は銃乱射事件で落命している。ビリーはなぜその開示を拒むのか。バンド活動を通じて息子の喪失から立ち直るビリーとバンドがのし上がる過程の享楽がこの不審を紛らわす。それが前半の構造である。 中盤に入ると作曲者の開示を拒む理由が明らかになってわれわれはたまげる。しかしその驚きの性質が問題なのであ