●昨日につづいて、もう一度『ブレードランナー 2049』を観た。話はもうわかっているので、一つ一つの場面や細部をじっくり味わうようにして。そして、一度目に観たときよりもさらに好きになった。 この映画もユニークなところに、この映画自身が、自分は決してオリジナルではあり得ない(続編である)ということを自ら積極的に示し、それを肯定しようとしているところがある。 この話は、アイデンティティを奪われるという話でもあり、「アイデンティティを奪われる」ということを承認するという話であると思われる。そして、その承認は、半ば、絶望から諦めへの移行としてあり、そして残りの半分は、その諦めがわずかな希望へとつながっているという形での「承認」といえると思う。映画のなかに「解放」のための「大義のための死」という言葉が出てくるが、すくなくとも主人公のKにとっての「承認(辛うじての肯定・希望)」は、「大義」という言葉か