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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (29)

  • 井上靖『北の海』を読んで驚く - jun-jun1965の日記

    『北の海』は、井上靖の自伝小説で、「しろばんば」「夏草冬濤」に続く、沼津の中学校を出て浪人していた半年の、柔道三昧の日々を描いている。翌年、四高の柔道部に入るよう誘われて金沢の四高を訪ねるのが表題の意味で、最後は神戸から両親のいる台湾へ向けての船に乗る。実に不思議な小説で、主人公つまり井上靖は「伊上洪作」なのだが、他の男たちはみな姓で「遠山」とか「木部」とか呼ばれているのに、洪作だけ「洪作」と呼ばれて特別扱いされている。さらに洪作を好きだというれい子もただ「れい子」と呼ばれている。 『暗夜行路』について紅野敏郎が「時任謙作一人まかり通る小説」と評したが、これはまったく「伊上洪作ひとりまかり通る」小説で、しかも『暗夜行路』は後半はフィクションだがこちらは自伝的小説だ。洪作は、呆れるほどに誰からも好かれる。中年者からも同年輩の青年でも、男でも女でも、洪作を気で嫌っている者はいないし、いじめ

    井上靖『北の海』を読んで驚く - jun-jun1965の日記
    maturi
    maturi 2024/06/23
    自意識過剰と無意識過剰
  • ケン・フォレット「大聖堂」の「上」を読んだ - jun-jun1965の日記

    ケン・フォレット(1949- )というアメリカの大衆作家は、前に「針の眼」というサスペンス小説を読んで、ドナルド・サザーランドが主演する映画も観たが、趣向が「鷲は舞いおりた」と同じな上、サザーランドが両方で似たような役をやっているのがおかしかった。しかし、まあ面白かった。 「大聖堂」は、12世紀英国を舞台としたそのフォレットの小説で、1991年に新潮文庫から矢野浩三郎の訳で全三冊が出ている。のちこれまたサザーランドが出演するドラマにもなっているが、今では新潮文庫版は絶版でソフトバンク文庫から同じ形態で出ている。 だが、私の周囲でこれが話題になったことはなかったので、読んでいなかった。先日、日の校閲者が間違いを見つけたという記事を読んで、挑戦する気になって図書館で上巻を借りてきたが、その前にドラマ版の第一回の分をツタヤで借りて観てみたがあまり面白い感じはしなかった。 それでも、小説に取り掛

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    maturi 2024/02/19
  • 恋愛、12世紀の発明 - jun-jun1965の日記

    1993年10月26日、私は郷仏文科の助教授だった月村辰雄先生に電話していた。のち「<男の恋>の文学史」になった博士論文に関するおたずねのためで、先ごろ若くして死去した平野隆文さんが前もって話しておいてくれたのだ。当時私は帝京短大で非常勤で英語を教えており、その講師室で仏文科の院生だった平野さんと知り合ったのである。平川先生の娘さんの節子さんも英語を教えていて、よく三人で話していた。 20世紀前半のフランスの歴史学者・シャルル・セニョボスが「恋愛、12世紀の発明」と言ったということは、アンリ・ダヴァンソンの『トゥルバドゥール』などに書いてあった。その電話で月村先生から、これをセニョボスがどこで言ったのかはわからないのです、と教えられたのである。 そのため、博士論文では典拠が示せず(いま考えれば、ダヴァンソンのを示して、典拠不明とすればいいのだが)そんなことの書いてないセニョボスのフラン

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    maturi 2024/02/19
    出典は大事
  • デーヴァダース - jun-jun1965の日記

    インド映画『デーヴァダース』。原作は1919年に書かれたロングセラー。2002年の何度目かの映画化にあわせて鳥居千代香先生が邦訳していたのを知り、知った。 鳥居先生は長く帝京女子短大の非常勤をしていて、近ごろ助教授をへて教授になられたが、私が1993年に短大で教えていた頃、鳥居先生のプリントが教卓の下に置いてあった。 インドにおけるダウリー殺人や寡婦焼殺、寺院売春婦などのは、たいてい鳥居先生が訳している。私は勝手に偉い先生だと認識しているのである。 ダウリーと闘い続けて―インドの女性と結婚持参金 作者: スバドラーブタリアー,Subhadra Butalia,鳥居千代香出版社/メーカー: つげ書房新社発売日: 2005/04メディア: 単行購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (1件) を見るインドのコールガール―高級売春婦の生活と世界 (双書・アジアの村から町から (1

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    maturi 2024/02/09
    インド文化 参考になる書物
  • 急に薬をやめるのは危険 - jun-jun1965の日記

    私は1995年8月に東大病院で処方を受けてマイナートランキライザーを呑むようになり、それまでのパニック障害や不安障害が緩和されていったのだが、それより前に群ようこのエッセイで、群が若いころ精神状態が悪くなりマイナートランキライザーを処方されて呑んだら効き目はすばらしかったが、こんなものに頼っていてはいけないと考えて捨ててしまった、というのを読んでいたため、いつまでも呑んでいてはいけないという考えがあり、翌年春に実家へ帰った時に薬を断ったのだが、そのためひどい禁断症状に陥って一か月くらい七転八倒の苦しみであった。四月になって大阪へ帰って再度薬を用いるようになって収まっていったのだが、薬は少しずつやめていくのが正しいので、いきなりやめると大変なことになる。しかし世の中には反薬派の医師というのがいて、薬はすぐ全部やめろなどと無茶なことを書いたを出していて、決して気にしてはいけない。

    急に薬をやめるのは危険 - jun-jun1965の日記
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    maturi 2024/02/09
    自己決定権()パターナリズム()アドバイス欲
  • ■ - jun-jun1965の日記

    私の『日売春史』に、ソープランドで働くような女は軽い知的障害があることが多い、と書いてあるのが、ある種の読者の「あっ、これは差別だ」意識を刺激するらしい。調べたのかい、などと言いだす。もちろんそんなこと、できるはずがない。売春はしていないというのが建前だし、世間でたくさん出ているセックス産業系研究書でも、日を対象としたもので、真正売春を包括的に扱ったものはない。取材に応じるはずがないからだ。 私はソープは客として行ったことはないが、ソープへ行っていた友達はいる。ヘルスには何度か行ったが、割とみな知的だった。その昔、竹下景子が演じる「トルコ嬢(のちソープ嬢)モモコ」シリーズという、堀川とんこう演出のテレビドラマがあって、そこではモモコはちょっと頭が弱いという設定になっていた。あとAV女優はソープ嬢とは違うのだが、観ていて、あ、これは頭が弱いな、と思うことがある(特に『週刊ポスト』のグラビ

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    maturi 2024/02/09
  • 売春婦差別について - jun-jun1965の日記

    私は24年前、「セックスワーカーを差別するな」と呼号する澁谷知美に、そういうことを言うなら自分がアルバイトでもソープ嬢とかやってみるべきだろう、と言ったのだが、こないだふと、なんであんなこと言ったのかなと思ったのだが、あの当時は私は売春撲滅論者だったが、その後転向して売春必要悪論になり、売春防止法は改廃すべきだと思うようになったから、ともいえるのだが、あれは当時の澁谷が、松沢呉一のアジテーションに載せられて浅野千恵とかをやたら攻撃したり、売春婦がなぜ蔑視されるかについて珍妙な説を唱えたりしていたせいもある。 しかし今でも、日常的な差別、たとえば隣に住んでいる人が元売春婦だと知ったら、普通の人づきあいは無理だろうというくらいには思っていて、これは現状では避けられない。コロナの時の給付金とかの話になると、まず合法化が先だろうという話になる。 それに私は近世から昭和初年までの人身売買による売春を

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    maturi 2024/02/09
  • 微温化され中産階級向きにされる大江健三郎 - jun-jun1965の日記

    9月13日の昼過ぎ、今日都内のホテルで、大江健三郎のお別れの会が開かれたというニュースをX上で見た時、あっ私は呼ばれなかったんだという悲哀が突き上げてきた。衝撃を受けつつあちこち調べてみると、大江についてのを書いた榎正樹は呼ばれたが行かなかった、高原到も呼ばれたが仕事があっていけなかったとかポストしており、かなり幅広く呼ばれたらしく、もしや蓮實重彦も呼ばれなかったのではと思ったが呼ばれていたようだし、私がパージされたのは明白で、私は衝撃のため二日ほど仕事が手につかなかった。 そこで私は「眠れる森の美女」の舞踏会に呼ばれなかった魔女のごとくタタリ神となって以後は語るが、近年、大江健三郎は中産階級向け、お茶の間向け、テレビ向けに微温化され、デオドラント化されている。スピーチしたのは黒柳徹子、山内久明、朝吹真理子というあたりがすでに微温的ではないか。 そもそも私が中学3年の時『万延元年のフッ

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    maturi 2023/09/18
    そもそも呼ぶ呼ばないの主語は故人じゃなくて生き残ってる人の意思だろう
  • 「分断が進む」って何だ - jun-jun1965の日記

    葉真中顕の、ブラジルの「勝ち組・負け組」抗争を描いた『灼熱』の帯の下のほうに「分断が進む現代に問う、傑作巨編」とある。勝ち組負け組抗争は、ブラジルの日人コロニーにおける「分断」には違いなかろうが、現代における「分断」とは何ぞや。昨年あたりからこういう言い方が散見されるのだが、政治的に国民があっちとこっちに分かれることなら70年前だってそうだったし、むしろ戦争中のほうが分断したくてもできない状態だった。つまり普通のことなのに、なんで「分断が進む」とか言うのだ。 アメリカ大統領選が終わったあとで、勝者つまり勝った側は、大統領選における「分断」を言い、これからは融和しようなどと言うが、これはまあ紋切り型のあいさつである。 別に今特別に分断しているわけではないんじゃないか。帯はもちろん、著者の責任ではない。 (小谷野敦)

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    maturi 2021/12/12
    葉真中本
  • 書評・葉真中顕「灼熱」ー「週刊朝日」12月10日号 - jun-jun1965の日記

    一九四五年、大東亜戦争と日では呼ばれていた戦争に日が負けた時、ブラジルに二十万人ほどいた日人移民の間で、日が勝ったというデマが広まった。のちに「勝ち組」「負け組」の争いと呼ばれるようになるもので、日が買ったと信じる者は「信念派」、負けたという真実をつかんでいた者たちは「認識派」と呼ばれたが、「勝ち組」からは「敗希派」と呼ばれ、ついには勝ち組によるテロ殺人も起こり、長く続いた。今の日で誤用されている「勝ち組」「負け組」はこれが来の用法で ある。 『灼熱』は、この「勝ち負け抗争」の小説化で、沖縄で生まれた移民として「勝ち組」の若い者となる比嘉勇と、ブラジルで生まれサンパウロに住んで都会的な知識を持ち、勇の親友だったのが「負け組」になるトキオを中心に物語が描かれていく。 この戦争で日は、米英オランダに宣戦布告しているが、最後になってソ連が参戦、中国もポツダム宣言に参加することで対

    書評・葉真中顕「灼熱」ー「週刊朝日」12月10日号 - jun-jun1965の日記
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    maturi 2021/12/12
  • 「宇宙戦艦ヤマト」に関するありがちな誤解 - jun-jun1965の日記

    必要があって、常見陽平の「ちょいブスの時代」をいうのをざっと読んだ。単に芸能人にちょっとブスなのがいるというネタを膨らませただけだが、恋愛論史も入っていて、当然論及されてしかるべき「もてない男」が無視されていなければ、私も駄とまでは言わなかったであろう。 その中に、「宇宙戦艦ヤマト」について、最初の放送は人気がなかったが、再放送を繰り返しているうちに人気が出て、という記述があった。間違いで、最初の放送から女子中学生を中心にコアなファンが生まれ、ファンクラブ活動が熱心に続けられて映画化・再放送、第二作製作となったというのが正しい。常見は「ヤマト」放送年の生まれだが、よく調べはしなかったんだな。

    「宇宙戦艦ヤマト」に関するありがちな誤解 - jun-jun1965の日記
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    maturi 2021/08/06
    歴史修正主義者かな?
  • 反論になっていない論法 - jun-jun1965の日記

    「日人論の多くはインチキだ」 →「しかし多くの人が日文化論を愛読している」(飯嶋裕治) 「上野千鶴子や宮台真司はまともな社会学じゃない」 →「だが世間の多くの人は上野や宮台を社会学だと思っている」(三浦淳・新潟大学) 「天皇制は身分制度だから反対だ」 →「だが多くの日人は天皇制を支持している」(亀田俊和) 反論になってませんから。

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    maturi 2021/06/06
    論点ずらし
  • 高田衛『八犬伝の世界』アマゾンレビュー - jun-jun1965の日記

    小谷野敦 5つ星のうち2.0 普賢菩薩説は認めない 2020年9月18日に日でレビュー済み 今年90歳になる著者の作。なお高田の専門は上田秋成である。書は「八犬伝」が書かれた背景、作品紹介としてはいいが、高田独自の説である八犬士を普賢菩薩の八大童子とする説は認められていないし私も認めない。特に、八犬士の犬江親兵衛をのぞく七人を北斗七星に擬しながら、親兵衛を副星とするのは不可解で、親兵衛は北極星とすべきである。その時、伏姫は豊玉姫になぞらえられ、親兵衛はニニギの命となり、金椀家は天皇家、里見家は徳川氏とする見立てが成り立つ。そして最後の管領戦は、日と諸外国との将来起こるべき戦争を寓意しているのである。それについては私の『八犬伝綺想』に書いてある。

  • 星光子さん降板の真相 - jun-jun1965の日記

    『ウルトラマンA』の南夕子だった星光子さんが、娘さんのブログで、『A』の途中降板は突然の出来事だったと明かしている。ご自身のブログにも転載されている。37年目の真実というところか。2004年に『A』のDVDが出た時、附録に星さんも登場して「今明かされる降板の真相」とか書いてあって、しかし実際には書いてなくて怒ったことがあったが…。 視聴率低迷による路線変更ということだが、とりあえず夕子がいなくなる! とやればその回は視聴率が稼げるとか、そういう場当たり的なあれだったかもしれない。あるいはこのままで行くと最終回をどうするか、といった問題もあったわけだし。 私も今でこそ星さんのファンだが、子供の頃は特にその美しさには気づかずにいた気がする。ただあの時は円谷一で、その一年後に40歳で死ぬんだが、『ファンタスティックコレクション』の「ミラーマン」の巻で、酒井敏夫が、延々と円谷一の人間性を非難して、

    星光子さん降板の真相 - jun-jun1965の日記
  • 「お前」と呼ぶお前は - jun-jun1965の日記

    『ペリーヌ物語』の主題歌で「お前を見守る星が」とある。ペリーヌを「お前」と呼んでいるこれは何者であろうか、ということが気になって、主題歌における「お前」について考えた。 歌謡曲なら、男が女を「お前」と呼ぶことはある。 ほか『母をたずねて三千里』でも「けれどマルコお前は来たんだ」とやっている。に訊いたら「神」だろうと耶蘇みたいなことを言う。『トム・ソーヤーの冒険』でも「お前なら行けるさトム」である。だがこれは最後に「走ろうぜ」とあるから、「お前」と言っているのはハックルベリー・フィンのようでもある。 『マッハバロン』のエンディングでは「お前が静かに眠れる世の中が」とある。『電人ザボーガー』のエンディングでは「俺とお前は」とあるが、これは主人公人間が、ロボットのザボーガーをお前と呼んでいる。 『ガンバの冒険』のエンディングにも「お前と仲間のどくろを映す」とあるのだが、これはガンバのことのよう

    「お前」と呼ぶお前は - jun-jun1965の日記
    maturi
    maturi 2015/08/18
    アニメ特撮主題歌ー永遠にアムロもお前だな
  • ズンドコ節 - jun-jun1965の日記

    汽車の窓から手を握り 送ってくれた人よりも ホームの影で泣いていた かわいあの娘が忘らりょか トコ ズンドコズンドコ という歌詞を「そんな娘のいねぇ男だっているんだ!」と青年・阿久悠は思っていた。そして三十年。 あのコが振っていた真っ赤なスカーフ 誰のためだと思っているか 誰のためでもいいじゃないか みんなその気でいればいい という「真っ赤なスカーフ」ができた。 …んじゃないかなあ。

    ズンドコ節 - jun-jun1965の日記
    maturi
    maturi 2015/04/01
     という歌詞を「そんな娘のいねぇ男だっているんだ!」と青年・阿久悠は思っていた。そして三十年。 (略) という「真っ赤なスカーフ」ができた。
  • 困っている - jun-jun1965の日記

    昨日の毎日新聞に、藤森照信による井上章一『日に古代はあったのか』の書評が出ていた。もちろん褒めているのだが、実は私は困っている。私は井上さんの言説史の方法を評価してきたし、多産でありながら着実な学者だと思ってきたが、今回はどうもいけない。 たとえば、日の中世は鎌倉時代、ほぼ13世紀から始まるが、西洋の中世は6世紀頃から始まる。なぜ七世紀もずれるのか、というのだが、地域によってずれるのは当然のことで、たとえば小西甚一『日文藝史』を見れば、アイヌや琉球では17,8世紀まで古代だったことになっていた(ように思う)。未開社会ならそうなるし、第一西洋史に「近世」という区分はない。 それで井上さんは、石母田正らの中世区分に疑問を呈して、従来の日史の時代区分は関東中心だったのではないか、と言う。 しかし、古代・中世・近世・近代などという時代区分は、科学的根拠を持つものではなくて、ただの便宜だと私

    困っている - jun-jun1965の日記
    maturi
    maturi 2015/03/25
    第一西洋史に「近世」という区分はない。 ()古代中世近世近代などという時代区分は科学的根拠を持つものではなく、ただの便宜だ()。特に西洋の近代など、ルネッサンスからか()産業革命から始まるのか分から
  • ■ - jun-jun1965の日記

    與那覇潤『中国化する日』は、版元から送られてきたのだが、読み始めて、とてもまともに読めない書き方がしてあったので、中途で捨てた。で、前からアマゾンレビューや『読書人』か『出版ニュース』で批判していたのだが、與那覇は東大の比較日文化論という、私が出た比較文学の下に作られた分科から、地域文化の大学院を出て博士号をとり、愛知県立大学に就職、それまで二冊の著作があり、これは学術的なものだったが、一発奇抜なものを書いて当てようというので書いたとしか思われなかった。 まあしかし、野心があるのは悪いことではない。そしてどうも計画は図に当たったらしく、與那覇は論壇誌などで盛んに対談露出をしている。 で私はちょくちょく批判していたのだが、昨日ツイッターで與那覇と遭遇してやりあった。その際、あれを読めこれを読めと言われたのだが、與那覇は、シナ宋代に「近代」が成立していたと言う。そして、それが学界の大きな潮

    ■ - jun-jun1965の日記
    maturi
    maturi 2015/03/25
    ”、井上章一さんの『日本に古代はあったのか』以来、何度か書いているが、古代・中世・近世・近代といった区分は便宜的なもので、そこに科学的な根拠はないし、「中世の本質」などというものはない。”
  • 具体的に言え - jun-jun1965の日記

    私の『日文化論のインチキ』を池田信夫は「最もインチキな日文化論」と言ったのであるが、私が「どこがインチキなのか」と訊いたら、「インチキでないところがない」と言ったまま逃げた。 だいたい、「このはつくり話のオンパレード」とか、「事実誤認が多い」とか言って、どこがそうなのか具体的にあげないやつというのは、人間が不真面目であり不誠実であり、自分はいい加減なことを言っていますと自白しているようなものである。 矢崎泰久が『口きかん』で、川端康成の『東京の人』は佐藤碧子が代作した、と書いているが、矢崎の著作に対して「つくり話のオンパレード」と言ったのが佐藤碧子で、しかしどこがそうなのか具体的には書かれていないし、しかもこれは佐藤の文章ですらなく、猪瀬直樹が「佐藤がこう言っている」と書いているだけである。佐藤はもう故人だが、その話を聞いた猪瀬は、矢崎に対して、どこが具体的につくり話なのか明らかにす

    具体的に言え - jun-jun1965の日記
    maturi
    maturi 2015/01/30
  • ■ - jun-jun1965の日記

    「ヌエのいた家」は、もとは「ヌエ記」という題で、編集部の要請で改題したのだが、実は編集部に持ち込む際、冒頭の一部を削除している。あまりに生々しいと思ったからである。ヤケなのでここで公開する。 * ヌエが死んだあと、私は二度ほど実家へ行って、諸手続きをしていた。母は発病してから、家にいる時は、もとは弟の部屋だった室のベッドで休んでいたが、その枕元の、小さな引出の中に、母の手帳を見つけた。それは、がんが発見されて半年ほどたち、がんセンターの治療が終わった五月から七月ころまでのものだった。母が死んだあと、これはその時まで見つけていなかったものだった。 それは細かな字で綴られていたが、ヌエが暴言を吐いた、その言葉がそのまま、後ろのほうのページに「これがほんとうの夫の言ったこと」として記されていた。 それはどうやら、夏なのですだれを表の窓に取り付けるため、ヌエが買ってきてやっていたがうまくいかず、母

    ■ - jun-jun1965の日記